にわちゃんが読んでいるメルマガを
紹介します。

○「癒しのことば」from 1999/12/30       
発行責任者:中村 慎一  shin@newage.ne.jp 
HP:  http://www.reiki.jp

※古今東西の名言から、ストレスを和らげ心を癒すことばをお届けします。 




----------------------------------------------------------------------

 「大きな夢をみよう。大きな夢だけが人の心を動かす」

            -- マルクス・アウレリウス(古代ローマ皇帝)--

----------------------------------------------------------------------

 子育ての経験があるかたはおわかりだと思いますが、子供はいつも、いろいろなメッセージを発信しています。

 幼い頃は全部親任せだった子供も、3,4歳くらいになると、何でも自分でやりたがります。

 パジャマを着るのでも、靴を履くことでも、親が手伝おうとすると拒んだりしますね。
 
 たどたどしい手つきで、時間もかかりますが、最後まで自分でやらないと気がすまないのです。

 そろそろ、「自分の力を試したい」「自分自身で生きたい」という自我がめばえる頃なのでしょうか。

 そんなときは、無理やり手伝ったりせずに、子供のそんなメッセージを尊重して、
思うようにさせてあげることの方がいいようですね。

 ときには、自分の手に負えなくなって、親の方に目を向けることがあります。
 それは、「ちょっと助けてほしいな」というメッセージなのでしょうから、
 うまく受け取って、子供のプライドを尊重しながら少し手助けをしてあげることができれば最高でしょう。

 学校へ行きだせば、「おなかが痛い」「頭が痛い」と言いだすこともあったりします。

 もちろん、本当に病気にかかっている場合もありますが、ときに、
『学校へ行きたくない』ということが本当の原因だということもあるのです。

 本人がはっきりと自覚していなくても、何か伝えたいことがあるのかも知れません。
 
 子供は、まだ自分の気持ちをうまくことばにすることができません。
 何かイヤなことがあって、学校へ行くことを考えと、
どんどん気が滅入ってきて、それが身体に現れるということもあるようです。

 これも、子供が発するメッセージですね。

 そのほか、反抗期にはいったり、不良の真似をしてみたり……
 そんなことも、何かをわかってほしいというメッセージなのでしょう。
 
 頭ごなしに叱ったり否定したりせずに、そのメッセージを受け取ることができれば、
どんな危機でも乗り越えていくことができるでしょう。

 無関心になることなく、かといって、あまりにも構いすぎたりせず、また、
 決め付けたり、親の価値観を押し付けたりせずに、ただありのままの子供の
 メッセージを受け取り、お互いがいちばん良いと思える道を進むことができるようになればいいですね。

 そして、メッセージを受け取れず、ぶつかりあって傷つけたり傷つけられた
 りすることだって、ちゃんとその気づきのメッセージを受け取れるのなら、
 多くのことを得ることもできるのです。

 これは、親の成長のスペースだともいえるでしょう。

 
 覚えておいて欲しいのは、そんなことばにならないメッセージを発している
 のは、子供だけではなくて、私たちが出会う人すべてだということです。

 それをうまく受け取ることが、良い人間関係を築いていくことになるのでしょう。

 ……さらに本当に大切なこと。
 それは、自分自身も、いつもいろいろなメッセージを発しているということです。

 今、何に心が疼くのか、何がしたいのか、何をしなくないのか……
 どんな夢を持っていて、どんな未来を創りだしていきたいのか……

 ときには、そんなメッセージを感じてあげてください。
 
 頭で考えた基準で否定したり、社会の価値観を押し付けたり、
無関心になったり、また、深刻に考え過ぎたりせずに……

 できれば親が子供を見守るように、自由にさせてあげてみてください。

 あなたの心がよろこぶ、大きな夢を楽しませてあげてくださいね。

----------------------------------------------------------------------

 「あなたの顔を光に向けていなさい。
  そうすれば影は見えません。
 
  いつも真理に目を向けていなさい。
  そうすれば、あなたの心から不安、心配は消えるでしょう」

            -- ヘレン・ケラー(アメリカの社会福祉事業家)--

----------------------------------------------------------------------

 元気に働くためには、充分な休養をとる必要があります。

 人に優しくなるには、誰かに傷つけられた経験が、大きな意味を持つようです。

 太陽の暖かさに心からありがたく感じるのは、厳しい冬を乗り越えたからなのでしょう。

 
 光の方を向いていれば、自分の影を見ることはありません。
 これは確かなことですね。

 でも、光があれば、必ず後ろには影ができます。
 いくら見えなくても、影は存在するのです。

 心理学者ユングの説によると、人間の心にも影(シャドウ)があって、それは、
意識で思っている「自分」から切り捨てられた部分だということです。

 そこには、『これは本当の自分ではない』と思っていることや、
『こんなことをしてはいけない』『これは間違っている』などと判断していることも含まれます。

 つまりは、自分があまり見たくないものや秘密の部分、あるいは恐れている
 ものを押し込んでいるとも考えることができますね。

 だから、私たちは、影を隠したり否定しようとします。
 
 しかし、苦しいことがあるときや、悩んでいたり落ち込んでいるときには、
 どうしても自分の影が気になってしまいます。
 見ないふりをしていても、どうしても目についてしまうのです。

 ……なぜなら、そんなときこそ、私たちが影を必要としているときなのですから。


 ユングは、影に関して、必ずしも否定すべきものではなくて、自分を理解するための力にもなると言っています。

 影は、自分を形成していく過程で脇へやられた、別の可能性のひとつひとつでもあるのですから、
それをうまく受け容れることができれば、さらに大きく成長していくこともできるのです。

 たとえば、「人間は、いつも努力していなくてはならない」という信念を持
 っている人は、過去に、自分の「怠け心」や「楽をしようという心」を否定
 し、影の部分に押しやったのかも知れません。

 そんな人でも、疲れてしまって、ふと気をゆるめて休みたいと思うこともあ
 るでしょう。
 すると、影から「ゆっくりしたい心」が、目の前に現れてくることになりま
 す。

 もし、それを恐れたり否定して、目を背けることもできます。
 影を見ないように、無理に光の方へ顔を向けることだってできるでしょう。

 だけど、それはとても苦しいことになるでしょう。
 無理やり、光ばかりを見ていれば、いつかは、心も身体も疲れきってしまって、
努力することもできなくなってしまうのです。

 影を受け容れてみたらどうでしょうか。

 ……ずっとがんばってきたのだから、疲れたとき、迷ったときには、少しゆっくりしてもいいんだよ。
 
 影は、そんなことを教えてくれているのかも知れません。

 少しだけ休んでみれば、心に余裕も生まれて、前よりもっと努力を重ねることができるようになったりします。
 
 同じ努力をするのでも、ときに気を抜いて心身をリフレッシュすることができれば、
本当に必要なときに、大きな力を発揮することもできるでしょう。
 

 自分のイヤなところ、見たくない部分が見えてきたとき……
 そんな影から逃げないで、抱きしめてあげましょうよ。

 それも、間違いなく自分の一部なのですから。


 本当の強さとは、自分の光も影も受け容れることができることを言うのでしょう。

 だって、影は、光に向かって進んでいくために、自分自身を生きるために、
 ずっとあなたと一緒にいたのですから。


----------------------------------------------------------------------

 「薬を10錠飲むよりも、心から笑った方がずっと効果があるはず」

             -- アンネ・フランク(『アンネの日記』作者)--

----------------------------------------------------------------------

 少し前のことですが、知り合いのお医者さんが、こんなことをおっしゃっていました。

 「自分の力で患者を治していると思っているうちは、まだまだ一人前の医者じゃないよ」

 たとえば、お医者さんは、骨折をした患者さんに対して、骨を固定してギブスをはめることはできます。
 ケガをした人には、消毒して傷口を縫合したり、化膿止めの薬を塗ったりします。

 熱がでたら、解熱剤や鎮痛剤を処方したりしますね。

 でも、元のように骨がひっついたり、傷がふさがっていくのは、
感者さん自身の自己治癒力が働くためで、お医者さんが何かをしたわけではありません。

 熱が下がっていくのも、薬が効いたというよりは、身体が自分で良くしていく間、
薬が症状を抑えていただけなのだそうです。

 お医者さんができるのは、ただ、患者さんの自己治癒力、
つまり治ろうとする力がスムーズに働くように、手助けすることだけです。

 知り合いのお医者さんが言うには、それを勘違いして、自分の力で治療して
 いると思っていると、もしも、経過が思わしくないときなどには、

 「自分の治療のどこが悪かったのだろう」
 「何が足りないのだろう。どんな薬を使えばいいのだろうか」

 というところへ意識が向いて、必要もないことをしてしまったり、
患者さんに余計な不安を与えてしまったりするのだそうです。

 ところが、自分は、相手の手助けをしていだけだと自覚しているお医者さんは、
なかなか良くならない患者さんがいたとしても、

 「どうして、良くなろうとしないのだろう」
 「あと何があれば、もっと患者さんの自己治癒力は高まっていくのだろう」
 
 と考え、症状や療法ではなく、患者さんの方へ意識が向くことになります。

 もちろん、治療法や使用する薬等に問題点はないかと考えることも大切ですが、
患者さん自身に注意を向けてみると、その方の生活スタイルや心理面に
 改善すべきところあったりと、意外な発見もあったりするということです。

 それが、本当の医者の仕事だとおっしゃっていました。


 そういえば、カウンセリングをするときにも、いくらこちらがベストの解決
 策だと思って提案しても、クライアント本人の腑に落ちていなければ、余計
 なお世話になってしまうという経験が何度かありました。

 どう考えても、こうすればうまくいくと思えて、クライアントさんも頭では
 納得するのですが、本人がどうも実行する気にならなかったり、実行しても
 続かなかったりしてしまいます。

 逆に、ただ話をしているだけなのに、突然、相手が勝手に自分の問題を解決
 する方法をみつけて、顔が輝くことがあります。

 それは、ほんのちょっとしたことだったりして、こちらとしては、首を傾げ
 てしまいそうになることもありますが、結果的には、自分が心から納得でき
 るものの方が、その人にとっては意味があるようです。

 
 私たちが問題を抱えていたり、悩んでいるときも同じことなのかも知れませ
 ん。

 もし、ずっと同じようなことで悩んでいるとしたら、いくら頭で考えて、
 「こうした方がいい」「こうすべきだ」とわかっていても、あるいは、誰か
 にアドバイスをもらったとしても、自分自身が心に落ちていなければ、あま
 り意味がないようです。

 その方法が悪いのではありませんし、他にもっといい方法を探した方がいい
 というわけでもないのでしょう。

 解決方法ではなくて、自分自身に意識を向けてみてはいかがでしょうか。

 「どうして、もっと良くなろうとしていないのか」
 「何がひっかかっているのか」
 「あと、なにがあれば幸せになれるのか」

 すると、いろいろなことが見えてくるかも知れませんよ。
 
 どれだけ良い薬を飲むよりも、今ここで、自分を楽しんで笑ってみる方が、
 心と身体には、ずっと効くようですね。



----------------------------------------------------------------------

 「一日生きることは、一歩進むことでありたい」

                    -- 湯川秀樹(理論物理学者)--

----------------------------------------------------------------------

 痛みとは、イヤなものです。
 できれば、ない方がいいと思いますよね。

 でも、痛みをまったく感じなくなったとしたら、どうなるでしょうか。

 生きている限り、いくら気をつけていても、転んで膝を擦りむいたり、包丁
 で指先を傷つけたりしてしまうことはありますよね。

 誰かに足を踏まれたり、重いものを持ってギックリ腰になってしまったり、
 ときには、風邪をひいて喉や頭が痛くなることもあるでしょう。

 考えてみれば、そんな痛みがあるからこそ、私たちは、ケガをしたとか体調
 不良に気づくことができるのです。

 もし、痛みがなければ、ケガをしたことにも気づかなくて化膿したり、風邪
 をひいたこともわからないので、こじらせてもっと大きな病気になってしま
 ったりするかも知れません。

 痛みとは、本来、私たちに何かを気づくためのメッセージを送るためにある
 のでしょう。

 そして、痛みからは、いろいろなことを知ることもできるようですよ。

 不注意でケガをしてしまったのなら、もう少し気を引き締めようと思ったり
 しますし、風邪で体調を崩したのなら、最近疲れてすぎていないか、充分休
 養ができているかなどを振り返ってみることもできます。

 また、何度も同じところにケガをするとしたら、どうしてそうなるのかを考
 えてみたりもできるでしょう。
 ……たとえば、身体の使い方が少し偏っているのかも知れませんし、いつも
 通る場所に、原因があるという可能性もありますね。

 イヤだイヤだと思わずに、痛みに向き合って感じてみると、私たち陥りがち
 なところや、改善すべきこと、もっと良くなっていくために必要なことに、
 気づくことだってできるのですよね。


 悩みや逆境とは、イヤなものです。
 できれば、ない方がいいと思いますよね。

 でも、何も問題を感じることがなくなったとしたら、どうでしょうか。

 ……この後は、もう繰り返さなくてもおわかりでしょう。

 人生においての痛み、つまり問題や失敗などで悩んだり、逆境に陥ったりす
 ることも、私たちに何かを気づかせてくれるためのメッセージなのです。

 逃げずに向き合ってみれば、いろいろなことを知ることができるのですね。


 もちろん、身体も人生も、痛みの原因がまったくなくなることが理想で、私
 たちは、そこを目標として成長していくのでしょう。

 だけど、肉体を持つ私たちには、どうしても痛みはつきものですね。

 ……それは生きているということの証明だし、だからこそ大きくなっていく
 スペースもあるのですね。

 心や魂だって、どうしても痛みを感じてしまいます。
 
 ……それも受け容れてみましょう。
 今は、その気づきが必要だからこそ目の前に現れたのでしょう。


 だから、今日も、さらに一歩前に進むことができるのですよね。


----------------------------------------------------------------------

----------------------------------------------------------------------

 「言い訳は、うそをつくより悪質で恐ろしい。
  なぜなら、言い訳はうそを守ってしまうからだ」


            -- アレクサンダー・ポープ(イギリスの詩人)--

----------------------------------------------------------------------

 夢や目標を手にするのには、実現したいという「思い」と、実現するための
 「方法」が必要ですね。

 では、私たちが「思い」と「方法」を、どのくらいの割合で持っているとき
 に、いちばん夢が叶いやすくなるのでしょうか。

 半分ずつくらい?

 いや、強い「思い」がある方が気力が持続するから、「思い」が7で、「方
 法」が3くらい?

 あるいは、やはり確実な「方法」がないと目標実現は難しいと思うから、
 「方法」が8割を占める?

 人によって、いろいろな意見があるでしょうが、こんな例を考えてみてくだ
 さいね。

 あなたが今、東京にいるとして、京都に行きたいと思ったとします。
 この場合、京都が「目標」ですね。

 京都へ行くためには、どのような方法があるでしょうか?

 飛行機、新幹線、夜行バス、タクシー、自家用車。

 そんな答えがすぐに浮かぶでしょうが、よく考えれみれば他にも、いろいろ
 ありますよ。
 
 ヒッチハイク、オートバイ、ヘリコプター、セスナ機に乗って……

 さらには、歩いていく、走っていく、という方法もありますし、転がってい
 く、逆立ちしながら、誰かにおんぶしてもらって(あるいは誰かをおんぶし
 ながら)、横歩き、けんけんをしながら、ということも思い浮かびます。

 そう考えてみると、京都へ行く方法なんて、無限に存在しますよね。

 もちろん難しいもの、時間がかかるものもありますが、どの方法でも、続け
 ていればいつかは必ず京都へたどりつけるでしょう。

 ところが、いくらたくさんの方法があったとしても、京都に行くことができ
 なくなることがあります。

 ……それは、「京都へは行きたくない」と思ったり、もともと京都へいくな
 どという願望を持っていなかったというとき。

 つまり、「思い」がまったくないという場合です。

 反対に言うと、京都へ行きたいという「思い」さえあれば、「方法」なんて
 いくらでもあるし、もしも、なかったとしても一生懸命に考え出して、何と
 かして行こうとすることになります。

 ということは、極端に言うと、夢や目標を叶えるため必要なのは、
 「思い」が100%で、「方法」がゼロ、ということになるのではないでしょ
 うか。

 そう、私たちは、叶えたい夢や目標を思い描いた瞬間に、必ず、それを手に
 入れることができるはずなのです。

 ただ、「思い」がありさえすれば……


 だけど、実際には、なかなか思うようには行っていないという人も多いよう
 ですね。

 私には夢があるし、それを絶対に叶えたいという「思い」もある。
 それを実現するための「方法」だって、いくつか考えられる。

 しかし、忙しくて時間がないし、必要なお金も協力者もいない。
 その他にも、こんな障害があるから、できないんだ。

 ……そんなふうに思っているのです。

 「できない」は、言い換えてみれば、「するのが怖い」ということになりま
 す。

 本当は「思い」さえあれば、障害なんてどこにもないのです。
 ただ、自分のなかに、ちょっとした恐れや自己不信があるから、障害が邪魔
 をしていると、言い訳しているのです。

 自分の「思い」に正直になれば、すべての障害は消えるでしょう。
 ……それは、言い訳を守るための幻想にすぎないのですから。

 そしてそのためには、言い訳をしないで、夢に向かって、ただ一歩を踏み出
 してみればいいのですよ。

----------------------------------------------------------------------

----------------------------------------------------------------------

 「幸運は求めて得られるものではない。
  ただ楽しい気持ちを養い、幸運を招き寄せるほかはない」

                        -- 『菜根譚』より --

----------------------------------------------------------------------

 ものごとが思うように進まない。
 望むものを、なかなか手に入れることができない。

 何が邪魔をしているのでしょうか。
 どこを探せば、本当の障害を見つけることができるのでしょうか。

 時間がない、お金がない、才能が足りないから?
 あるいは、いつも妨害する人がいるから?

 ……禅の寓話にこんなものがあります。

 昔、あるお坊さんが、悟りを開こうと、毎日、熱心に修行を続けていました。

 ところが、いつの頃からか、座禅を組むと。すぐに大きなクモが現れて、ま
 とわりついてくるようになったのです。

 これでは、とても心を集中することはできません。
 お坊さんは、一生懸命にクモを追い払いますが、いくら追い払っても、座っ
 て目を閉じると、またどこからともなくやってくるのです。

 思い余ったお坊さんが師に相談すると、
 「今度クモが現れたら、墨でしるしをつけておき、どこから来るのか調べて
  みるがよい」
 と教えられました。

 その日、座禅をはじめると、いつものようにクモがまとわりついてきました
 ので、お坊さんは師に言われたとおり、そいつの腹に墨で大きく丸を書きま
 した。

 これで相手の正体を突き止めることができると思うと、久しぶりに落ち着い
 て座禅をすることができました。

 ……そして、座禅を終えたお坊さんが見たのは、自分の腹に記された大きな
 丸印だったということです。

 誰かがいるから、何かを持っていないから……
 それが自分を邪魔しているように思えても、本当の障害は、自分自身のなか
 にあるのかも知れませんね。

 
 それでは、夢を叶えたり、成功するために必要なものは、どこにあるのでし
 ょうか。
 
 ……禅の寓話をもうひとつ。

 明の時代の中国でのこと。
 ある青年が、高名な僧に教えを請うために、遠いところへ旅立ちました。

 何しろ当時のことですから、どのくらいの月日がかかるかわかりませんし、
 無事に帰ることができる保証もないのです。
 青年の両親は、涙を流してわが子を見送りました。

 かなり長く歩き続けて疲れた青年は、道端の切り株に腰をおろして少し休憩
 することにしました。

 そこへひとりの僧が通りかかり、青年の隣に座って話しかけます。

 「今からどちらへ行きなさる?」

 「はい、菩薩と呼ばれている、すばらしい師のもとへ……」

 青年が答えると、僧は、微笑みながら言います。

 「それは良い心がけじゃ。
  しかし、菩薩よりも、仏に会いに行く方が、もっと多くのことを学べるの
  ではないかな」

 青年は、驚いて聞き返します。

 「仏とは、いったいどこにいらっしゃるのです?」

 「自分の家に帰ってみろ。
  きっと、毛布を羽織り、靴を逆さまに履いた人が迎えてくれるだろう。
  その人こそが仏じゃ」

 それを聞くと、青年はあわてて駆け戻り、真夜中になってやっと我が家にた
 どり着きました。

 ……門が開いたとき青年が見たのは、愛する息子が帰ってきたと知って、服
 を着るのももどかしくただ毛布だけをまとい、靴を逆に履いているのも気づ
 かず、息を切らせて走ってきた母親の姿だったのです。

 
 心が望んでいるものは、世界中のどこを探してもみつかりません。
 それは、すぐ近くにあるのですから。

 幸福になるためには、何も必要ありません。
 まず、自分のなかの喜びや楽しんでいる心に触れてみればいいのですよね。



----------------------------------------------------------------------

----------------------------------------------------------------------

 「幸福は、心の流れによって決まるもの」

              -- アリス・メイベル(アメリカの教育者)--

----------------------------------------------------------------------

 毎日ではないのですが、ときどき会って、
しばらく一緒にいなければならない人がいるとします。

 そして、あなたは、その人のことをあまり気に入っていないと考えてみてください。
 
 言うことやることが、どうも気に障りますし、
考え方も、かなり自分と違っていて受け容れがたいのです。

 だったら、無視していればいいのでしょうが、気になって仕方がありません。
 相手が何かをするたびに、それは間違っていると咎めたくなりますし、
話を聞くとイライラしてきます。

 だから一緒にいるときは苦痛です。
 
 その人を変えたい、言動を正したい、という衝動にかられて、
いろいろがんばってみますが、なかなかうまくはいきません。
 
 いつも心が、その相手にひっかかって、どうすることもできないのです。


 ……気に入らないその誰かと一緒にいるとき、
そんなふうに時間を過ごしているとしたら、あまり意味があるとは言えませんね。

 相手を変えようと躍起になっても、それは無理でしょう。
 その人が望んでいるのならともかく、
相手は、相手なりの理由と正当性があって、そう考え、行動しているのです。

 気に障る相手の言動ばかりを気にして、嫌な気持ちになっているのは自分。
 その間は、自分の成長にとって意義があることがまったくできていないのです。

 だったら、どうすればもっと生産的な時間を過ごせるのでしょうか。

 ひとつには、相手にばかり向いている自分の意識を、
もっと広い世界に向けてみることです。
 そうすると、視野が開けて、今自分にとって、
本当に大切なものは何かが見えてくるかも知れません。

 もうひとつは、気に入らなくてもとにかく相手を受け容れてみることです。

 そんなオープンな目で見てみると、ひょっとしたら、相手とのズレが自分を
 見直すきっかけになって、新たな『気づき』を得られるかも知れません。

 そして最後に、相手を変えようとするより、
自分ができることを精一杯やってみることも大切です。

 できないことをやろうと、一生懸命にがんばって時間を無駄にするよりも、
 今、自分にできることは何かを考え、そこにエネルギーを注ぐのです。

 それは、必ず自分の成長に役立ちますし、結果として、
まわりの人や環境などに変化をもたらすこともあるようです。

 つまり、

 ・相手を気にして意識を集中しないで、視野を広く持つ。
 ・受け容れる・自分ではどうしようもないことに努力するよりも
自分が今できることに エネルギーを使う。
これが、どんな相手と一緒にいても、
大切な時間を自分にとって意義あるものにするための秘訣なのです。 
これは、確かにそうですよね。
 
 そして、本当に知って欲しかったのは、その気に入らない誰かとは、実は、
 私たちの、「悩み」「問題」「障害」なのだということです。

 ・その悩みや問題ばかりに意識を集中せずに、一歩離れて、広い視野を持っ
  てみると、いろいろなことが見えてくる。

 ・一度、自分を悩ませているものを受け容れみると、前に進むための新たな
  発見があるかも知れない。

 ・自分の力ではどうしようもないことで悩んでいるよりも、とにかく、今の
  自分ができることを精一杯やる。
  それが現状を変えることにつながっていく。


 ……誰と会っても、どんな出来事が現れても、それをどう受け止め
、どう自分の成長の糧にしていくのかは、私たちの心が決めるのです。

 どう輝くか、どれほどすばらしい幸福を手に入れるのかも、
選ぶのは、私たちの心なのですよね。


----------------------------------------------------------------------

 「自らが思い描く人生を生きなさい」

        -- ヘンリー・デイビッド・ソロー(アメリカの思想家)--

----------------------------------------------------------------------

 聖書のなかに、イエスが、手を触れただけで病が癒されたり、見えなかった
 目が見えるようになったりする奇蹟が書かれていますね。
 
 そのときイエス様は、病んだところを治そうとしたわけではなく、
ただ本来のその人を信じて光を与えたのではないでしょうか。

 問題になっているところを見るのではなく、ひょっとしたら、
病という概念すら認めていなかったのかも知れません。

 また、仏教にも、悪魔たちが仏陀の肉を食おうと襲ってきたときの説話があります。

 悪魔たちは、邪悪で強大な力を発揮しますが、仏陀を殺すどころか、
逆に改心して、弟子になってしまうのです。

 このときの仏陀も、きっと悪の存在を認めようとせず、
相手の本質を信じて光を送ったのでしょう。

 暗闇を明るくするのには、闇を何とかしようと思う必要はありません。
 ただ、明かりを灯せばいいのですね。

 闇が存在しているのではなくて、光が足りないだけのことなのですから。


 私たちが苦しんでいる問題や悩みだって、同じではないでしょうか。 
 これは、問題を無視しろとか、障害を気にしないようにしようと言っているのではありません。

 確かに、今、目の前に、実際に存在する問題はあります。
 それは、自分ができることをやって、さらに成長していくための課題なのでしょう。

 でも、ときに私たちは、存在しない問題を一生懸命に何とかしようと
がんばって疲れてしまっていることがあります。

 たとえば、もっとよい人間関係を望んでいるのなら、
自分の性格が原因だから変えなくてはと、クヨクヨ悩んでいても仕方がありません。
 それよりも、自分の良いところを磨いていった方が、
よい結果につながっていくのではないでしょうか。

 豊かになりたいのなら、今の欠乏感を嘆くよりも、
豊かに考え、豊かさに満ちた行動をすることが大切ですね。

 楽に楽しく生きたいのなら、それを阻んでいる障害を取り除こうと決意するよりも、
まず「楽に楽しく生きよう」と決めることが早道です。

 りんごを実らせたいのなら、はじめにりんごの種を蒔く必要があります。

 他の種を蒔いていても、いつまでたってもりんごを手に入れることはできません。


 今、あなたは闇と戦っていませんか。
 ありもしない問題を何とかしようと、がんばってはいませんか。

 昔の失敗も、ネガティブな自己イメージも、「〜しなければならない」も、
 「私には、〜がないからダメだ」も、そのほか、
あなたを苦しめていることも、全部、闇なのです。

 そして闇は、ただ自分が輝けば消えていくのです。
 

 そう、もっと自分が思うように生きていいのですよ。

 それが、あなたがいちばん光り輝いているときなのですから。


----------------------------------------------------------------------


----------------------------------------------------------------------

 「もう思いわずうのはやめろ。
  なるようになる。すべてがなるようになる。
  ただ人間は、それを愛しさえすればよいのだ」

                -- ロマン・ロラン(フランスの小説家)--

----------------------------------------------------------------------

 将棋の真剣勝負では、『待った』はききません。

 たとえミスをして、「しまった!」と思っても、
戻ってやり直すことはできないし、相手に見逃してもらうことを期待しても、
そううまくはいかないことが多いですね。

 そんなとき、
 「あのとき、ああしていれば……」
 「あんな手を打たなければ……」
 と悔やんでいては、ただ時間を無駄に過ごすだけです。

 同じ時間を使うのなら、自分のやってしまった失敗を、
少しでも取り戻せるように知恵を絞って前に進んだ方が、ずっと賢明でしょう。

 また、対局が自分が思っているように進まないときなどに、
こんなことを思ってしまう瞬間があるかも知れません。

 「この駒が銀じゃなくて飛車だったらなあ」
 「桂馬が前に進むことができたら」
 「相手がミスをしてくれないものか」

 だけど、今、目の前にある将棋盤が、間違いない現状のすべてだし、
もちろんルールを変えることもできないし、
考えているようにはいかないのが勝負ですね。

 それだからこそ、楽しいし、もっと上達したいと願うし、いろいろと学ぶことも多いのです。


 野球の試合でも、ちゃんとルールは決められています。

 相手のチームはツーアウトで交代なのに
自分のチームは5つまでアウトになってもいいとか、
自分が有利なようにストライクゾーンを決めることができる。
 
 ……もし、そんなことが許されるのなら、必ず勝てるでしょうし、
気持ちがよいかも知れませんが、ゲームとしては意味がないでしょう。
 こんなことで相手に勝ったとしても、
自分の成長のためには何も得るものもないし、後味も悪いのではないでしょうか。

 決められたことは、誰でも、決められたように守る。
 できることはできるし、できないことはできない。

 そして、今、目の前で起こっていることは、いくら願っていても変えることはできないのです。

 決められたルールのなかで、自分の力で、少しでもよい結果になるように努力する。
 それが、将棋や野球に限らず、ゲームの醍醐味ですね。


 これは、私たちの人生だって同じです。
 
 いいときもあれば、苦しいときもある。

 自分が持っている、才能、時間、資産、仲間は、限られているし、他の人と
 比較してみれば、むしろ乏しいと思えることもある。

 思わぬ失敗や、予期せぬ不幸に見舞われることもあるでしょう。

 そんなとき、いつまでも過去を悔やんだり、今の自分を無力だと思ったり、
 不運を嘆いていても、仕方がありません。

 ……そんなルールのなかで、自分らしくがんばって、夢を叶えるというゴー
 ルに進むのが人生というゲームです。
 そのなかで、いろいろな気づきをもらったり、大切なことを学んだりするこ
 とが、私たちの成長です。

 苦しいのは、目の前の出来事に遭ったからではなくて、多くの場合は、変え
 ることのできない現実を、一生懸命に変えようとしていたり、悔やんでいた
 り、決められたルールを受け容れることができないでいるからだったのです
 ね。
 
 大丈夫!
 何も悩むことは、ありません。

 すべてを信じて、目の前にあることとルールを受け容れてみれば、必ず最後
 は望むようになっていくのです。

 あなたは、人生というゲームを愛して、学び、そして、楽しむために生まれ
 てきたのですから。



----------------------------------------------------------------------

 「君がどんなに遠い夢を見ても、君自身が可能性を信じる限りそれは手の届くところにある」

               -- ヘルマン・ヘッセ(ドイツの小説家)--

----------------------------------------------------------------------

 明日の天気がどうなるのかでも、サイコロを振って自分が思った目がでるかどうかでも構いません。

 これから起こる未来のことに、少し意識を向けてみてください。

 そのときに、心のなかで「どうせ……」ということばをつぶやいてみます。
 きっとその瞬間、未来は、ちょっと暗いイメージになったり、
自分が思った通りにはならないように感じられるのではないでしょうか。

 それもそのはず、頭のなかで「どうせ……」と言っているとき、
無意識で続けているのは、次のようなネガティブな予想のようだからです。
 
 「どうせ……、明日は雨だろう」
 「どうせ……、予想したのとは違った目がでるだろう」

 未来がどうなるか、まだ決まったわけでもなくて、
いろいろな可能性があるはずなのに、「どうせ……」と考えたとたんに、
そんなふうに可能性を狭めてしまうのです。

 「どうせ、○○しても無駄だ」
 「どうせ、あの人に話してもわかるはずがないよ」
 「どうせ、また失敗するに決まっている」

 「どうせ……」は、どんな場合でも、私たちの可能性を小さく限定してしまうことばのようですね。

 「できない」ということばも問題です。

 何かをやろうとするとき、ついつい「私にはできない」と思ってしまう人がいますが、
これも行動する力を抑えて、本当はできるはずのことでもできなくしてしまうことになります。

 未来において、あることが、「できる」か「できないか」を決めるのは、
ほとんどが、その人の能力ではなくて、頭のなかで何を信じているかのようです。

 そして、未来の可能性を奪うことばの、最強コンビが、「どうせ、私にはできない……」というものなのです。

 この2つのことばが一緒に使われるとき、「どうせ」と「私にはできない」
 の間には、無数のできない理由、うまくいかない原因が、知らぬ間に脳のなかを駆け回っているのでしょう。

 私たちのヤル気や希望を抑え込み、自分の夢へチャレンジする勇気を奪ってしまうのです。

 ……たった2つのことばを思うだけなのですが、とても恐ろしいことが起こっているのですね。

 今日からは、もし、自分が「どうせ……」とか「できない」ということばを
 使っていることに気づいたら、こんなふうに言い換えてみてはいかがでしょうか。

 「どうせ……」の代わりに「きっと……」
 「できない」に代えて「できる」

 これだけのことですが、私たちの人生は、前向きになっているはずです。

 未来の可能性は、すべて自分のなかにあるのです。
 信じている限り、必ず、夢を手にすることができるのです。

 
 ……ひょっとして、今、こんなことを思った人はいませんか。

 『「どうせ」そんなことをしても、何も変えることは「できない」よ』
 
 そう、きっとそれは正しいのでしょう。
 そう思ったから、自分の人生を前向きに変えるという可能性を小さくしてしまったのですよね。

 そんなときには、こう言い変えるのでしたよね。

 『「きっと」私たちの人生を大きく変えることが「できる」』

 どうですか?
 
 きっと、大きな変化があったでしょう。
 ほら、自分のなかの未来の可能性たちが、生き生きとしはじめたのを感じましたよね。


----------------------------------------------------------------------

 「人生を楽しんでいる人は、失敗者ではない」

           -- ウィリアム・フォークナー(アメリカの小説家)--

----------------------------------------------------------------------

 「生きている」ということと、「生きる」ことは違うようです。

 ただ呼吸をし、食物を摂って肉体を維持していれば、「生きている」ことにはなるでしょう。

 でも、「生きる」ためには、自分自身、そして、外の世界とのつながりを持つことが必要になります。

 世界とつながりを持つということは、まず、自分のまわりに注意を向け、
そこで起こっている出来事、同じ空間に生きている存在を感じることです。
 
 また、世界を感じたときに、自分の内側に沸き起こる、
さまざまな感情を受け止めることも大切ですね。
 
 美しい自然を見たときの感動、誰かの優しさに触れたときの温かい気持ち、
 あるいは、怒りや喜び、悲しみ。
 人々の感じ方やものの見方の、ちょっとした違いに気づいたときの驚き。

 そんな心の動きを楽しむことこそが、「生きる」ということなのでしょう。

 さらに、自分が気づいた世界のすばらしさを、
誰かと分かち合うことができれば、そこが、人生を楽しむということなのではないでしょうか。

 辛いこと、悲しいことのなかにも、私たちの心を動かし、
新たな気づきを与えてくれるものがあります。
 
 「生きる」ことは、楽しいことなのです。
 楽しんで「生きる」とき、私たちは、本来の自分でいることができるようです。

 それこそが、本当の成功といえるのでしょうね。

 そして、私たちは、自分なりの成功のすばらしさを、
この世界に広げるために、今、ここに存在しているのでしょう。


 たとえば、自分が楽しいときには、まわりの人たちも楽しそうにしているように思えたりします。

 逆に、自分がイライラしていれば、出会う人すべてが、
機嫌が悪いように感じて、ますますイライラしてしまったということはないでしょうか。

 これは、イライラしてまわりに不機嫌な顔を撒き散らしている人に出会っても同じです。
 なぜか、その人のイライラが、こちらにも伝染してきて、自分もイライラしてきますよね。

 ということは、まわりの人たちが楽しそうに思えるとき、
自分も楽しく生きているということになるのですよね。

 この世界を楽しくするのは、とても簡単です。
 自分自身が、今、この瞬間を楽しめばいいのです。

 それが、どんどん広がっていくことになるのです。

 もちろん、毎日、私たちが出会う出来事には、とても楽しめそうにないと思えることもあります。
 イヤなこと、不幸な出来事、辛かったり、悲しかったり……

 そんなときには、逃げずにすべてを受け容れましょう。
 辛いときには落ち込み、イヤなことがあればイライラしてもいいのです。
 悲しければ泣いてもいいし、苦しかったら弱音を吐いても大丈夫。

 それが、「生きる」ということなのですから。
 そんな苦しいことだって、いつかは、すべてが楽しく思えるためにあるのですから。

 もう一度言いましょう。
  
 「生きる」ことは、楽しいことなのです。


----------------------------------------------------------------------

 「高く登ろうと思うのなら、自分の脚を使うことだ。高いところへは、
他人に運ばれてはならない。ひとの背中や頭に乗ってはならない」


                   -- ニーチェ(ドイツの哲学者)--

----------------------------------------------------------------------
 
 人と会うと緊張する。
 会社へ行くと疲れてしまう。


 そんな人は、ひょっとしたら相手や会社のワクに、
無理やり自分のワクを合わせよううとしているのかも知れませんよ。

 人それぞれ、考え方やものの見方は違っています。
 すべての人が、その人なりの『ワク』を持っているのです。
 
 会社や学校などの組織にも、それぞれ独特の雰囲気や掟のようなものがありますよね。
 それが、その組織のワクなのです。

 そして、私たち自身も、自分固有のワクを持っています。
 今まで培ってきた、自分なりの考え方や嗜好、価値観などのことです。
 
 ワクの形や大きさはさまざまですし、ワクのある位置もみんな違っているようです。

 人と会ったとき、会社へ行ったとき、そのワクに、何とかして自分のワクを
 合わせようとするのは、とても辛いことです。
 だって、その間、ずっと自分のワクを変えていなければなりませんからね。

 だから緊張したり、疲れてしまったりするようです。

 かといって、自分のワクのままでいると、相手や組織のワクからはみ出してしまいます。
 自分自身のワクを押し付けてばかりでは、コミュニケーションも円滑にはいかないでしょう。

 もちろん、相手や組織のワクを自分のワクに合わせようとしても、それは無理というものです。

 それならいっそのこと、完全に相手や組織のワクに合うように、自分のワクを変えてしまった方が楽だ。

 そう思う人もいますが、実際には、それは難しいことですし、
たとえ、自分らしさを捨てて、無理に自分のワクを変えたとしても、かえって窮屈になってしまうでしょう。

 ではどうしたらいいのでしょう。
 
 いつまでも、人と会えば、相手に合わせようと身構え、
会社では、納得できないことでも、黙って受け容れていなければならないのでしょうか。


 ……ちょっと思い出してみてください。
 
 あなたのまわりにも、どこへいっても自分らしくいて、
誰と会っても自然体でいることができるけれど、
すべてがスムーズにいっている、という人はいるでしょうね。

 その人は、自分のワクを変えたり、押し付けようとはしません。
 それでいて、相手や組織のワクを無理に自分に合わせようとすることもないのです。

 どやったら、そんなふうにうまくいくのでしょうか。

 きっと、そんな人たちは、自分のワクとは違ったワクに出会ったときに、
自分のワクを大きくして、受け容れているのでしょう。
 
 自分のワクをしっかりと持っていながら、相手のワクも尊重します。
 相手のワクも包み込むことができるように、
自分のワクの形や位置にこだわることなく、広げていこうとするのです。

 これならば、どんなワクに出会っても、苦しむことはありませんよね。
 それどころが、いろいろなワクに出会うたびに、自分自身も、さらに大きくなっていくのです。

 自分は自分らしく、相手は相手らしくいることができるのです。

 もっと柔軟になって、自分のワクを広げていくことが、楽に生きられる秘訣なのですね。

 さっそく、今日からはじめてみましょうよ。


 え?
 とてもじゃないが、自分にはそんなことできないって?

 ……まずは、その考え方のワクを、少し広げてみてくださいね。


----------------------------------------------------------------------

 「成功は、結果であって目的ではない」

                 -- フロベール(フランスの小説家)--

----------------------------------------------------------------------
 
 植物の種を蒔けば、まず芽が出て、次に茎が伸び葉を広げます。
 そして、やがて花が咲いて、実になっていくでしょう。

 この順番は、変わることはありませんね。

 もちろん、蒔いた種が、必ず成長して花が咲くとは限りません。
 
 たとえば、蒔く季節や時期が適切でなかったり、土地の栄養が少な過ぎて、
 芽を出すことができないこともあります。

 また、水分が充分でなかったり、逆に、多すぎたりして枯れてしまう場合も考えられますね。

 種を蒔くタイミングがずれていたり、育て方が悪かったりすると、植物は、うまく育ちません。

 これも、とても当たり前のことでしょう。

 ときに私たちは、種を蒔かずにいたり、蒔くタイミングを逃してしまっているのに、
実ができないと嘆いていることがあります。

 また、欲しい実のものではない種を蒔いていて、
できた実を見て失望してしまうこともあるようです。
 
 あるいは、種を蒔いても、ちゃんと世話をしなかったのに、
うまく育たないとがっかりしたり……

 そして、自分は不運だ、ツイていないと思い込んだり、他の人が立派な実を
 手に入れたのを見て、世の中は不公平だと不満を持ったりしているのです。

 だけど、別に、不運でも世の中が不公平でもないですよね。

 種を蒔かなかったり、蒔くタイミングを誤っていれば、花が咲かないのは当然のことでしょう。

 他の種を蒔いたり、ちゃんと世話をしなかったから
、自分が望む実がならなかっただけのことですよね。

 
 もっとも、実際の植物なら、そんなことがわからない人はいないでしょう。

 これは、私たちの夢や成功のことなのです。

 自分の望んでいる夢や成功を、果実だとしてみましょう。
 それを手に入れるためには、適切なタイミングで種を蒔く必要があります。

 そして、いつも『前向きに進む』という世話をし、
自分を信じるという『水』をあげ『ポジティブに考える』ことで養分を与えていれば、やがて芽が出て
 花を咲かせることになるでしょう。

 ときには、迷いや失敗という雑草が生えてくるかも知れませんが、
それに気がつけば、こまめに抜き取るようにしましょう。

 あとは、芽が出て、茎が伸び葉が茂るのをくるのを見守ってあげればいいのです。
 信じていれば、必ず、自分が望む実を手に入れることができるでしょう。

 これは、何の不思議もなく、当たり前のことですよね。

 もし、今まで、夢が夢のままで終わっていたり、
望むような成功を手に入れていないのなら、このプロセスの中で、
どこかちょっとしたことが、違っていただけのことなのです。

 
 さあ、もう一度、あなたの夢の種を蒔きましょうよ。

 「自分には無理だ」とか、「きっとできないだろう」などという別の種が混じってくることもありますが、
その種は、どこかへ捨てて、自分が欲しい実の種だけを蒔くのです。

 自分を信じていれば、夢や成功の果実は、必ず手に入るでしょう。
 それは当然のことだし、本当は、種を蒔き信じて前に進むということが、
すでに成功だともいえるのですから。

 そう……
 あなたの心がうずいている今が、その種を蒔くベストタイミングなのですよ。



----------------------------------------------------------------------

 「人生に『よし』と言うことは、
  同時に自分自身に『よし』と言うことである」

            -- ダグ・ハマーショルド(第2代国連事務総長)--

----------------------------------------------------------------------
 
 晴れ渡った青い空。
 白い雲が、2つ、3つ、のんびりと浮かんでいます。

 立ち止まって眺めていると、とてもゆったりとした気持ちになってきます。
 心も身体もゆるんでくるような気がしてきますね。

 人生も、いつも、こんな穏やかな日々を送ることができれば、どんなにいいことでしょう。

 ……でも、ふと、こんなことを考えました。
 
 たとえば、いくら晴天がいいといっても、まったく雲がなくて、いつまでも
 青いが広がっているというのも、ちょっと寂しいもので、すぐに飽きてしまいそうです。
 
 それに、たまには雨も降らないと、植物も育たないし、
飲み水にも不自由することになるでしょう。

 だからといって、ずっと雲に覆われていて、雨ばかりが降り続くというのもイヤですよね。

 毎日、大雨や嵐に襲われるのも困ります。

 青い空に、いくつかの雲。
 ときどき雨が降ったり、嵐が来る。

 それが、バランスがとれていていて、いちばんいいのではないでしょうか。
 たまに雨が降らないと、晴れた日の心地よさも味わえませんしね。

 人生だって、晴れ間が続くのも安泰でいいでしょうが、
たまに問題という雨が降ったり、嵐のようなアクシデントにも出会います。

 だからこそ、いろいろなことが学べるし、強くなっていくこともできるのです。
 
 苦しいことがあるから、優しくなれるし、すべてを受け容れることもできるのですよね。


 あなたは、どんな人と一緒にいたとしたら、幸せになれると思いますか?

 優しい人?
 誠実な人?
 自分を、あるがままに受け容れてくれる人?
 
 あなたは、何を持っていたら、幸せになれると思いますか?

 お金?
 大きな家や高級な自動車?
 仕事での成功?

 本当は、どんなにすばらしい人と一緒にいても、
どんなものを手に入れたとしても、それだけでは幸せになることはできないものかも知れません。
 
 なぜかというと、幸せは、誰かや何かから与えられるものではなくて、
自分の内側から来るものだからです。

 自分の人生に満足しているときに、
内からわいてくるよろこびや安らぎこそが、本当の幸せなのでしょう。

 それでも、あなたに幸せを与えてくれる人たちやものは、確かにあるのです。

 それは、幸せに生きている人、そして、人に喜びを与えるようなもののことです。

 ……つまり、こういうことです。
 あなたが、幸せでいると、あなたと一緒にいる人も、幸せを感じることになります。

 あなたができる範囲で、自分が持っているものを、人に分け与えてあげれば、
 そして、それに喜びを感じているのなら、受け取った人たちも喜びと幸せを感じるでしょう。

 そう、幸せになるためには、あなたが、そんな人になればいいのです。
 あなたが、幸せに生きれいればいいだけのことなのです。

 簡単なことです。

 いろいろあるとは思いますが……
 ただ、今の自分自身を受け容れて、この世界にOKをだせば、すべてはうまくいくのです。



----------------------------------------------------------------------

----------------------------------------------------------------------

 「自分で泣き言をいって絶望しているのは、成功を妨げ、
そのうえ、心の平安を乱すばかりだ」


                   -- 野口英世(医師・細菌学者)--

----------------------------------------------------------------------
 
 過去に、こんな間違いをしてしまったから、私はダメな人間だ。
 失敗してしまった、もう何もうまくいかないだろう。

 いい学校を出ていないから、忙しくて時間がないから、誰も理解してくれないから……

 マイナス要因ばかりを見ていたら、少しがんばればできるはずのことでも、
 できなくなってしまいます。
 それに、そんなことを思い続けていたら、生きることも苦しくなってしまうでしょう。

 確かに、失敗経験や自分に欠けているものは、
前に進むための負担だと思えることもあるでしょうね。
 
 でも、それがあるからこそ、今、自分という存在があるのではないでしょうか。
 そして、そんな自分にしかできないことだってあるはずです。


 ……一見、マイナスに見えることでも、
それがより良くなるために必要だということもあるようですよ。

 先日、こんな話をお聞きしました。

 日本人に花粉症などのアレルギーが増えたのは、身体のなかに寄生虫がいな
 くなったからだというのです。

 ずっと昔から杉の木はありましたし、花粉も舞っていました。
 それなのに、日本ではじめて花粉症だと診断される人が現れたのは、1960年
 代の頃のことです。

 それがちょうど、国をあげての駆除の取り組みが進んで、寄生虫が、ほぼ絶
 滅してきた頃と一致するのだそうです。

 まだ、その関連性が完全に認められているわけではないのですが、海外でも
 研究が進んでいるということですし、寄生虫は、花粉症だけでなく、他のア
 レルギーも抑えていた可能性もあるようです。

 もちろんアレルギーと寄生虫感染は、どちらがいいかは意見が分かれるでし
 ょうが、一見、マイナスだけに思えていた寄生虫だって、本当は、役に立っ
 てもいたのですね。


 また、納豆は大豆よりもすぐれているということも教えていただきました。

 大豆は、良質の高タンパク食品で、肉などに比べてコレステロールもありません。
 また、レシチンをはじめ、私たちの身体に良い栄養もたくさん含まれています。

 ところが、あまり消化が良いとは言えず、十分に栄養が吸収できなかったり、
 アレルギーの原因物質(アレルゲン)も含まれるという欠点もあります。

 その大豆を、納豆菌によって発酵させると納豆になります。
 
 納豆は、消化もよくアレルゲンもなくなっています。
 そして、大豆のままではなかった、良質の酵素やビタミンさえも発生しているということです。

 納豆菌による発酵は、大豆にとっては、
分解され形を変えられてしまうことなのですから、
ある意味、恐ろしいものだと思えるかも知れません。

 これも好みがあるでしょうし、人間の側からの見方ですが、
一見ネガティブにも思えることが、さらに私たちにとっては、
より良くなりもっと役に立ってくれることになるのですね。

 
 苦しいとき、マイナス要因ばかりが見えてしまうとき、自分が情けなく思えるとき……

 生きていると、ときに背中に重い荷物を背負わされてしまったような気がすることもあります。

 でも、それはきっとあなたがもっと強くなるように、
より良くなっていくために必要な刺激をくれているのではないでしょうか。

 重くのしかかる負担だと思えていたのは、
自分が勝手に余計なものまで背負っていたからなのですよね。

 この世界は、私たちに背負いきれないような重荷を持たせることはないのですから。

 
 いらないものを捨てて、身も心も軽くなって前へ進めば、ほら、どんどん元気が出てくるでしょう。



----------------------------------------------------------------------

 「傷つきやすい人間ほど、複雑な鎧帷子(よろいかたびら)を身につけるものだ。
  そして往々この鎧帷子が、自分の肌を傷つけてしまう」

                      -- 三島由紀夫(小説家)--

----------------------------------------------------------------------

 一艘のヨットを持っている人がいます。
 
 ずっと乗り続けてきたヨットですが、昔は、あまり満足できなかった時期もありました。

 他の人のヨットと比べてみると少し不恰好に思えますし、それほど早く進むこともできません。

 風に乗って自分が行きたいところへ走っているときにも、
他のヨットが向かっている方向の方が、いいことがありそうな気がしたりします。

 向かい風にあおられてうまく進めないときなど、
ついつい違うところに向かってスマートに走っていくヨットの後を追いかけてしまいます。
 
 そんなときには、たいてい目的地に着いても、
そこは自分が心から望んでいた場所ではないという失望を味わうことになりましたが……

 でも、あるとき、すばらしいことを教えてもらいました。

 「みんな、それぞれ持っているヨットが自分にとっては最高のものだ。
  他のヨットと比べることはないんだよ。
自分のヨットを好きになって信じていれば、すべてはうまくいく」
 
 それで今は、自分のヨットが大好きになっています。
 
 他のヨットと比べることはないのです。
 このヨットを信頼していれば、何とかしなくてはとあせる気持ちも起こりませんし、
コンプレックスを感じることもありません。

 だから、今は、ヨットを岸につないで大事にしています。
 海を走らせると、汚れたり傷がついたりするかも知れませんし、どうしても
 他のヨットが眼に入り、比べてしまったりしてしまうからです。

 行きたいところがあるのはわかっています。
 そこに向かって吹いている風も感じることができます。

 でも、大好きで信じている自分のヨットを、苦しめるわけにはいきません。
 そして、今日も、自分のヨットを守っているのです。


 ……ナンバーワンを目指す必要はなくて、オンリーワンであればいい。

 確かに、その通りなのでしょう。
 しかし、それを前に進まない言い訳にすることは、
あまり意味があることとはいえませんね。

 ちょっと考えてみてください。
 
 「他と比べることはない」と強くこだわったり、
海へ出て他のヨットと一緒に走らせると傷ついてしまうと思ってしまうのは、
本当には自分のヨットを信頼できていないからなのではないでしょうか。

 心から自分のヨットが好きで信じているのなら、
今すぐ、追い風に乗って行きたいところへ向かうことができるでしょう。
 もちろん目的地は、他のヨットと比べる必要はありませんし、
スピードもマイペースでいいのです。

 どんな進路を取ろうが、どこの港でどれだけ休もうが、
これは自分の思いに任せればいいでしょう。

 だって、自分が行きたいところに行くために、そのヨットを持っていたのでしょう。

 風はいろいろな方向から吹いています。
 ほら、あなたの目的地へ向かう風だって、ちゃんと感じることができるでしょう。

 
 人生だって、そうですよね。

 本当に自分を受け容れて信頼していれば、ありのままで望むところへ向かって
 進んでいくことができるはずです。

 自分を守ろうとしたり、前に進むことを恐れることはないのです。
 もっと広い世界を楽しみましょうよ。
 
 誰とも比べることはなくて、ただ自分のままでいれば、自分が行きたいとこ
 ろ、手に入れたい目標を感じることができるでしょう。

 そこに向かう追い風は、必ず吹いています。

 私たちは、そこへ行くために、この世界に生まれてきたのですから。


----------------------------------------------------------------------

----------------------------------------------------------------------

 「自由が欲しい時は他人に頼んじゃいけないんだよ。
  君が自由だと思えばもう君は自由なんだ」


              -- リチャード・バック(アメリカの小説家)--

----------------------------------------------------------------------

 たとえば、「悩み事があって夜も眠れない」という人がいます。
 
 心にひっかかることがあって、毎夜、不眠で苦しんでいるというのです。

 確かに、その悩みは深刻で心が休まるときもないのでしょう。
 でも、そのことばかりを考えているから、
頭のなかが悩みでいっぱいになってしまっていることはないでしょうか。

 夜、ぐっすりと眠れるようになる方法は、実に簡単です。
 朝早く起きることと、仕事が終わったら2,3キロほど軽くジョギングしてみることです。

 とにかく少し疲れるくらい身体を動かしてみると、夜が更ける前に、
いつの間にか寝てしまっているでしょう。
 
 ところが、「眠れなくて困っている」、という人に限って、そんなことを試しもしないようです。

 「そんなことをしても眠れるかどうかわかないから」
 「仕事が忙しいし、疲れているから」
 「他にやらなければならないことがあるから」

 などと、いろいろ理由をつけています。
 そして、今日も、眠れないと苦しんでいるのです。

 眠れない本当の理由は、今、直面しなければならないことがあるのに、
それ をわかっているのに、向き合うことから逃げようとしているということなの
 ではないでしょうか。

 何か悩みを抱えていること、夜も眠れないほど苦しんでいるということは、
 前に進むことができない言い訳になりますよね。
 
 それは、今の自分を変えることに対して恐れがあるからということもあるでしょう。
 あるいは、自分を信頼できなくて、
今より大きくなることなどできないと思い込んでいるのかも知れません。

 だけど、気づいてください。
 今の私たちには、どこへでも行くことができる自由があるのです。

 ジョギングまではしなくても、一度身体を伸ばして、まわりを見回してみましょうよ。
 
 ほら、悩みばかりに気をとられていたときには目に入らなかった、大きくて
 希望に満ち溢れた世界が見えてくるでしょう。


 たとえば、「自分には才能がないから、何もできない」という人がいます。

 そんな人に限って、どんなことでもやる前から、
自分には無理だとあきらめてしまっているようです。

 自分でできないと宣言しているのですから、できないのは当然のことでしょうが、
本当はやらないで済む言い訳をしているのかも知れません。

 どこかに『自分は何でもできる』というプライドを隠し持っているので、
もしやってみてうまくいかないと、人よりも深く傷ついてしまうことになります。
 
 できないと言ってしまえば、何もやらなくてもいいのです。
 はじめからやらなければ、失敗することもないのですよね。

 そんな人も、一度大きく身体を伸ばして、まわりを見回してみてください。

 この世界には、「良いもの」も「悪いものも」ないのですが、自分にとって
 「必要なもの」と「いらないもの」は存在するのです。

 それを判断するためには、一度は受け容れてみることも大切なのです。

 何もかもできる必要はありません。
 できるかできないか、それが自分に必要か必要でないか、
とにかく受け容れて試してみてはいかがでしょうか。

 それだけで、世界が広がり、本当は、もっと自由だったのだと気づくことができるでしょう。


 たとえば、今、あなたはどんなことで苦しんでいるのでしょう。

 本当は、何を見ないように自分を縛り付けているのでしょうか。

 一度、大きく身体を伸ばしてみてください。
 
 気づくだけでいいのです。

 あなたを縛るものなど何もないということを。
 今までも、そして、これからもずっとあなたは自由なのだということを。



----------------------------------------------------------------------

 
「あなたは失敗するためではなく、成功するために生まれてきたのだ」

             -- H・D・ソロー (アメリカの自然主義者)--

----------------------------------------------------------------------

 先日お会いした人から、食事の前に、どうして『いただきます』と言うのかを教えていただきました。

 昔は、食べ物がいつも手に入るとは限らず、とても貴重なものだったようです。
 何しろ、食べる物がないと、私たちは生きていられませんからね。

 そして、大切なものは頭の上に捧げ持ち、穢(けが)れを防ぐという風習も
 あったということです。
 
 当然、食べ物も頭の頂(いただき)に持ち上げてから、
感謝の気持ちをこめて食べさせて「いただく」ということをしていました。

 だから、その名残で、食べる前に『いただきます』と頭を下げているのだそうです。

 そういえば、そんなことを知らなくても、「いただきます」と言うときには、
 自然と手を合わせて、ありがたい気持ちになっていたりしますよね。

 さらに、私たちが食べるものは、肉でも、魚でも、野菜でも、すべてが命の
 あるものです。
 その命を、私たちのために、犠牲にして捧げていただくことになるのです。

 そんな命を、自分のなかに取り入れる(戴く)のですから、大切にさせて
 『いただきます』という思いもこめているのだそうです。


 さらに、食べ終わった後には『ごちそうさま』と言いますが、
これは「ご馳走様」と書き、『走り回る』ということを意味しています。

 つまり、食事を用意するためには、
大勢の人が一生懸命に走り回って用意してくれたのだということを忘れないように、
このことばを口にするのだということです。

 たとえば、毎日口にしているご飯ですが、
そのお米の一粒が、目の前にあるためには、数多くの人たちが尽力してくれているのです。

 農家の方が、丹精こめて世話をして米を実らせ、
それを精米してくれる人がいて、さらに運搬する人や、卸や販売店で売る人がいます。
 
 そのお米を買って帰ってくれる人、そのためのお金を稼いでくれる人、
米を研いで炊いてくれる人、お茶碗によそってくれる人がいて、
はじめて、私たちはご飯を食べることができるのです。

 ご飯を自分で炊いているよ、という方もいらっしゃるでしょうが、
そのご飯を入れるお茶碗ひとつだって、作ってくれた人がいるから、ここにあるのですよね。

 そんなことを考えると、食事をするたびに、本当にありがたくて感謝の念がわいてきませんか。

 その人が言うには、「どんなに贅を尽くした豪華な料理でも、最高の食材を
 使っていても感謝の心がないと、何も身にならない」のだということです。

 逆に、どんなに粗末な食べ物だったとしても、感謝を持って食べるのなら、
 心身を満たしてくれるのです。

 農薬がどうのこうのとか、栄養価がどうだとか不満を持ちながら食べると、
 どんなに身体に良いとされる食べ物だったとしても、
そんなネガティブなものも一緒に入ってきてしまい、健康にも影響を与えることになります。

 もちろん、食べるものには気をつけるに越したことはありませんが、
どうせ食べるのなら、少々貧弱なものでも感謝を持ちながら摂る方が、
身体にはよっぽど良いようです。


 ……なるほど、と思ったのと同時に、これは食べ物だけではなくて、
私たちの人生にも言えるのではないかとも感じました。

 日々出会う出来事には、私たちが『良いこと』だと思うこともありますし、
 『イヤなこと』だと判断するものもあります。

 でも、いくら『良いこと』でも、「もうちょっと、こうだったらもっと良かったのに……」などと、
不平を持つとしたら、何も身になりません。

 ところが、少々『イヤなこと』に出会っても、
「これは私に何かを気づかせてくれるために起こっているのだ」「ここから学べることは何だろう」と、
 感謝やありがたい気持ちを持って受け取ると、
きっとそちらの方が、私たちを大きくしてくれるでしょう。


 何を食べるのかも大事ですが、どんな心で食べるのかの方が、もっと大切なのですね。

 良い出来事、悪い出来事。
 どんなことに出会うのかも意味があるのでしょうが、
どんな心で受け容れるのかが大切なのですね。

 どちらにせよ、すべての出来事は、私たちがもっと幸せになるために、
成功するために、やってくるのですから。

 ……すべての出来事に『いただきます』、そして『ごちそうさま』と言える
 心を持ちたいと思います。





----------------------------------------------------------------------

 「成功とは、結果ではかるのではなくて、
  それに費やした努力の総計ではかるべきである」

                  -- エジソン(アメリカの発明家)--

----------------------------------------------------------------------

 スポーツや勝負事では、『勝つこと』こそが最終的な目標だと考える人が多いようです。

 もちろん、勝利を目指して努力を重ねることはすばらしいことですね。

 でも、あまりにもそこに執着しているとしたらどうでしょうか。
 勝つことだけに意義があって、勝つことができなければ、
今までやってきたことが何の意味もないと思ってしまうことです。

 プロスポーツ選手のように、勝つことが自分の存在意義を際立たせ、
勝てないと生き残れないという立場の人もいるでしょう。

 それでも、どんなスポーツでも優勝できるのはひとり、あるいは、1チームしかありません。
 いくら努力しても、力を尽くしても、結果として勝ち残れないことだってあるのです。

 勝つという結果を追い求めることも大切です。
 そして、勝つために努力をすることだって、もっと大切なのです。


 これは、私たちの人生でも同じなのではないでしょうか。

 自分が暮らす世界は、競争原理に支配されていて、
いつも人よりも優れていることに意味があると思い込んでいるかも知れません。

 人よりもがんばって仕事をし、より良い実績をあげようと考え、
人に勝つための知識を身につけるための勉強に時間を使おうという人も大勢います。

 負けないために身体を鍛え、自分の子どもたちを優秀に育てるために手を尽くし、
より多くのものを手に入れようと努力をしている人だっているでしょう。

 誰がいちばん優れているとか、何を持ったり、どんなことをするのが最高に
 すばらしいのかを考えることにも、意味があるのでしょう。
 けれども、そればかりに執着しているのなら、
もっと大切なことが見えなくなってしまうかも知れません。

 仕事で同僚よりも実績をあげることを目指すよりも、
もっとお客様の役立つことをする方が大事だということもあるでしょう。

 誰が早く昇進するかよりも、誰が職場の雰囲気を良くしようと努力するかが
 重要なのではないでしょうか。

 また、自分の子どもが、テストで、よその子よりも1点でも多く取ってくるかどうかを気にするより、
誠実でやさしい子どもに育てることに気をつかう方が、ずっと大切なのではないでしょうか。

 勝つ事を否定することははありません。
 努力しないことの言い訳や、負けたことを正当化するのでもないのです。

 勝つこと、負けることへのこだわりを捨て、
本当に大切なことに意識を向けてみれば、この世界は、もっと輝いてくるということを知って欲しいのです。

 『勝つこと』に執着すると、失望も多くなります。
 
 それよりも、自分がどれだけベストを尽くしているか、今の自分でできるこ
 とをしているかということを、もっと楽しんでみましょうよ。


----------------------------------------------------------------------

 「喜びを人に分かつと喜びは二倍になり、
  苦しみを人に分かつと苦しみは半分になる」


                   -- ティートゲ(ドイツの詩人)--

----------------------------------------------------------------------

 たとえば、ふたり乗りの自転車で道を走っていると思ってください。

 いちばん楽しいのは、ふたりで協力してペダルを踏んで進んでいくことですよね。

 苦しい上り坂に出会ったとしても、お互いががんばって力を出しあえば、
ひとりのときよりも楽に登ることができます。
 そして、坂道を下るときには、ふたりで一緒に楽しむことができます。

 ところが、
 「自分ばかりが自転車をこいで、あの人はあまり力を出していない」
 などと不公平に思えてきたとしたら、一生懸命にペダルを踏むのがバカらしくなってきますね。

 だからといって、足の力を抜いてみれば、自転車のスピードが落ちるだけで
 すし、相手も同じことを考えたとしたら、いつかは走ることさえできなくなってしまうでしょう。

 「相手の方が力があるから」
 「私は、こんなに疲れているのだから……」

 といったことを考えても同じです。

 そんな動機で、こちらが楽をしようとすると、相手も同じことを考えて、
うまく自転車を走らせることができないでしょう。
 
 たとえ、相手が献身的で、ふたりぶんの仕事を引き受けてくれたとしても、
 どこかに負い目を感じることになり、バランスがいいとではありません。
 それに、どちらか一方が犠牲になるような関係は、いつかは崩れてしまうことになってしまいます。

 「相手が何もしてくれない」
 「ふたりが公平に、自転車をこぐべきだ」
 「いつも私が、損ばかりしている」
 
 そんなことを気にしたり、こだわったりしてしまうこともあるかも知れませんが、
少し立ち止まって、思いだしてみてください。

 そもそも、どうしてふたり乗りの自転車に乗ることにしたのか。
 なぜ、その相手と、今、こうして自転車を走らせているのか。

 ……それは、一緒に楽しみたかったし、よろこびを感じたかったから、もっ
 と充実した関係を築き、幸せを手に入れたかったからだったはずですよね。

 そして、それは、今も、あなたが強く望んでいることなのではないでしょう
 か。

 ふたり乗りの自転車とは、恋人、夫婦、友人、家族、そんな関係だと思ってください。
 あるいは、仕事や会社との関係、この世界との関係、自分自身との関係と考えてもいいでしょう。

 どんな関係であっても、もっと良好にしていきたい、お互いがさらに向上し、
 幸福になりたいと思ったからこそ、今、目の前にあるのでしょう。

 どちらが得をしているとか、損をしているとかを考える必要はありません。
 憎しみあっているとか、過去にわだかまりがあって、
どうしても許すことができないというのも幻想なのでしょう。

 あなたが、できる最高にステキなこと。
 それは、ただ、ふたり乗り自転車のペダルを、自分ができる精一杯の力で踏むことです。

 相手が協力してくれないとか、自分には力がなくて、
相手に迷惑をかけているなんかは、今は、考えなくてもいいじゃないですか。

 ただ、自分ができることをして、楽しいことがあれば、それを誰かまわりの人にも分けてあげる。

 苦しいことがあるのなら、自分の胸のなかだけにしまっておかずに、誰かに打ち明ける。
 誰かが苦しんでいるのなら、それも、自分ができる範囲で受け止めてあげる。


 自分が一生懸命に自転車をこいでいれば、相手にもそれが伝わって、
一生懸命にペダルを踏んでくれるでしょう。

 あなたが楽しんでいれば、あなたの大切な人も、
生きることを楽しむことができるのですよね。
 
 今日は、そんな世界を広げていきましょうよ。



----------------------------------------------------------------------


 「人は何かを信じることによって生きる。
  いろんなことを論じあうことによってではない」

          -- トマス・カーライル(イギリスの思想家・歴史家)--

----------------------------------------------------------------------

 もし、ケガをしたり病気になっても、自然に治っていきます。
 意識しないでも呼吸をしていますし、
吸った息のなかから酸素が血液に入って、私たちの身体に供給されます。

 食事を摂れば、自動的に消化吸収されて栄養になり、
危険を察知すれば自然に身を守ろうとします。

 生まれた瞬間から私たちは、成長し成熟していくことが決まっていたのです。
 自然に「成功」するためのシステムを、持っていたのです。

 それを思い出してください。
 あとは、自分がどこへ向かうかを決めるだけなのですよ。


 「車で、あの場所へ行きたい」

 そう決めたとしたら、いちばんはじめに必要なものは何でしょうか?
 
 多くの人は、まず「自動車」だと答えるでしょうね。

 なかには、できるだけ性能のいい車が欲しい、
ある程度の安全性や操作性がないと、怖くて出発できないと考える人もいるかも知れません。

 でも、いくら性能のいい自動車を手に入れても、ガソリンがないと走りはしませんよね。
 それに、エンジンオイルや水だって必要でしょう。

 行きたい場所までの地図や、食料やお金だってないと困ると思う人もいるでしょうし、
情報を得るためのラジオや暇な時間を埋めるための本なども持って行きたいと考える人もいるでしょうね。

 ……ところが、今あげたようなものすべてが揃っていたとしても、
勝手に動き出して目的地まで行くということはありえないのです。

 まず、自動車のキーを回して、エンジンを始動させる人が必要です。
 そして、その人をそうさせるための気持ちが必要です。

 極端に言えば、それ以外は何もいりません。

 その人が、「絶対に自動車そこへ行きたい!」と強く思っているのなら、
どんな手段を使ってでもいつかは自動車を手に入れるでしょうし、
他の道具がなくても、何とかして目的地まで走っていこうと努力するでしょう。
 
 重要なのは、自分がどこへ向かうかを決めるだけなのですね。

 
 セミの幼虫がカラを破り、セミとして現れる瞬間をはじめて見たとき。

 子どもの私にとっては、奇蹟のように思えて興奮しました。

 思い返してみれば、今までできなかったことができるようになったときだって奇蹟で、感動する出来事でした。
 
 誰かのちょっとしたことばで傷ついて落ち込んでしまったこと、
また、ほんの少しの心遣いが、大きな勇気を与えてくれたこと。
 
 それだって不思議で感激を覚えることだったのです。

 人生を変えるほどの影響を与えられた出会い、自分が心から楽しめることが
 何かがわかった瞬間。

 子供の頃は、そんな奇蹟と感動に満ち溢れていました。

 それはそんなに昔のことではありません。
 そして、大人になってからは、ただ慣れてしまって気づかなくなっているだけで、
今も、そんな奇蹟がいっぱいなのでしょう。

 大切なのは、その奇蹟はただ待っていたから起こったのではなくて、
私たちが生きて、前に向かって進んでいるから起こすことができたことなのです。

 そして、今だって、私たちには奇蹟を起こす力があるのです。

 思い出してください。
 あとは、自分がどこへ向かうかを決めるだけ。

 ……あなたが信じている、すばらしいことは、もちろんすべてが実現するの ですから。



----------------------------------------------------------------------

 「自分のためを考えなさい。
  そして、ほかの人々にも同じことをする権利を楽しませてあげなさい」

                -- ヴォルテール(フランスの思想家)--

----------------------------------------------------------------------

 自分の短所やキライなところを考えてみましょう。

 こんなところがダメだ。
 この性格もよくない。
 昔、あんな恥ずかしいことをしてしまった。

 すると、すぐに、心が重くなり、イヤな気分になれますよね。
 
 そのまま誰か仲の良い友達のひとりのことを思ってみてください。 
 すると、その人にも、あまり優しい気分になれないのではないでしょうか。

 では逆に、自分のいいところや、以前の喜ばしい体験を思い出してみましょう。
 恥ずかしくなければ、心のなかで、「私はステキだ!」なんて、思ってみてもいいでしょう。

 そして、仲の良い友達のことを考えてみると、きっと、その人も、ステキで
 輝いているように思えてきますよね。

 自分をステキだと思えれば、他のみんなもステキだと思えるようになるようです。
 自分が自分のいい友達であれば、みんなとも良い友達になれるのです。

 まず、自分が自分のことを好きになることがいちばん大切。

 それを、忘れて、自分を好きになる方法や、
他の人と良い関係を築き方をみつけるために、どこか他のところを探している人はいませんか。


 ……たとえば、配偶者が浮気をしたから夫婦仲が冷めたとか、
子どもが非行に走ったから家庭が崩壊した、などと悩んでいる人がいます。
 
 でも、本当は、夫婦の間に溝ができていたから、
配偶者は浮気をしてしまったということも考えられますし、家庭の問題を感じて居心地が悪かったから、
 子どもはついつい悪いことをしてしまったのかも知れません。

 ○○したことが悪い。
 ○○だからダメだ。

 と、そこだけを見ているのなら、真の問題はいつまでたっても解決しないことになります。

 いったい、本当に大事なのは、何を見ることなのでしょうか。


 昔々、お釈迦様の弟子のひとりに、阿難陀というとても美男がいました。
 彼は、たいそう女性にモテたようで、修行をするのに差し支えると悩むことも多かったそうです。
 
 そんな阿難陀を見かねたお釈迦様は、
1枚の布にいくつかの結び目をつくり、彼の前に差し出されました。

 「これは何だと思う?」と尋ねるお釈迦様に、
阿難陀は、「いくつもの結び目です」と答えました。

 お釈迦様は、にっこりと笑って言います。

 「お前の心にも、たくさんの煩悩という結び目ができているようだな。
しかし、だからといって、そんなに深く思い悩むことはない。
  結び目があるのなら、こうしてひとつずつ解いていけばいいだけだ」

 お釈迦様は、とうとう結び目をすべて解いてしまわれました。

 「阿難陀よ、これは同じ布だが、結び目はどこにある?」

 阿難陀は、気づきました。
 できてしまった結び目を見て悩んでいるのではなく、
ただ、もとの布を見ればよかったのだと。

 その結び目ができたのは、結局は、自分の煩悩が原因だったのだから、それ
 を認めて、ひとつずつ解いていけばよいのだということを。

 
 何にも問題はなかったのです。

 ただ、自分が自分であることを楽しむことが、この世でいちばん大切なことなのです。

 そして、この世界をより良くしていく道なのです。

 ……悩みや問題を感じたとしたら、それを思い出すためなのでしょうね。


----------------------------------------------------------------------

 「なにもかも失われたときにも、未来だけはまだ残っている」

                    -- ボビー(アメリカの作家)--

----------------------------------------------------------------------

 お酒を飲み過ぎて何も覚えていないのに、
朝になったら自分の布団で寝ていて、いったい、どうやって家まで帰ったのだろうかと首を傾げた。

 あるいは、寝ぼけてぼんやりしているのに、いつのまにか身支度をしていて、
 いつもの通勤電車に乗っていた。

 そんな経験経験をしたことがある人もいらっしゃることでしょうね。

 そんなとき、もしも、頭がハッキリしていたとしたら、

 「こんなに酔っ払っているのだから、ちゃんと家に帰ることができるかどうかわからない。
どこかへ泊まった方がいいのだろうか……」
 
 「今日は、寝不足で仕事になりそうもないな。いっそ仮病でも使って会社を
  休んで、もう少し寝ていようか」

 ……というように、結局は、家に帰ったり会社へ行ったりすることになると
 しても、いろいろ悩んで重苦しい気持ちのままに行動することになるかも知れませんね。

 ひょっとしたら、何も考えなかったら、すんなりと家に帰れたり、
会社へ行くことができたのではないでしょうか。

 やりたいことがあったら、目指す夢があるのなら、
ただ、そこへ行こうという気持ちが、他の何よりも大切なのでしょう。
 
 それが、自分にとって本当に必要なことならば、そこへたどり着く道も、
途中で出会う困難を乗り越える方法も、必ず自分の内側が知っているはずです。
 
 あとは、余計なことを考えずに、そこへ向かっていこうという自分を信頼するだけなのでしょうね。

 もし、自分の目標へ向かうのに、苦しみながら歩いている人がいるのなら、
 そんなことを思い出してみてください。

 自分を信頼していれば、いつか必ず、たどり着けるのです。

 方法や可能性なんかより、心配や余計な考えよりも、もっと大事な道標は、いつも自分のなかにあります。

 大丈夫。
 あなたがその未来を望むのは、それが自分のものだと知っているからなのですから。


 船に乗っていて嵐に襲われたとき、簡単に難破できる方法があります。

 それは、

 ・こんな嵐に出会ってはもうどうすることもできない、とあきらめて、
ただ船が大波に弄ばれるのに任せてしまうこと。

 ・「こんな嵐がやってくるなんて、なんて自分は不運なんだ」と
自分の運命を嘆いたり、「こんな日に船を出すのではなかった」と後悔したり、
「もし、もっと大きな船を持っていたとしたら何とかなっていただろう」など
  と、今の自分の状況を否定して、嵐に立ち向かう努力をしないこと。

 この2つです。

 自分の力を信頼できないのでは……
 自分の運命は、すべて外の環境が決めると信じているのでは……

 嵐の海で助かることは難しいでしょう。

 そう。
 どんな激しい嵐に見舞われても乗り越えていくためには、
けっしてあきらめずに、自分の力で船を操作することです。

 自分の運命は自分が創り出すものだ、自分の力を信頼することです。


 夢を目指して進んでいく道の途中では、ときには大きな嵐に出会うこともありますね。
 もうダメだと、挫けそうになることもあるでしょう。

 でも、あなたが自分の足で歩いていく限り、いつかは必ず目的地にたどり着けるのです。

 大丈夫。
 あなたがその未来を望むのは、それが自分のものだと知っているからなのですから。



----------------------------------------------------------------------

 「怒りは無謀をもって始まり、後悔をもって終わる


              -- ピタゴラス(ギリシアの哲学者・数学者)--

----------------------------------------------------------------------

 仕事でも、ゲームでも、趣味でも、自分が「こうならなければならない」と思っていることが、
そうならないと、頭のなかが混乱して、いろいろな感情が出てきます。

 ・十分達成可能だったはずの目標に、あとわずかで届かなかった。
 ・いつもは簡単にできることが、思わぬトラブルが起きて失敗した。
 ・ある人のためを思って、一生懸命に助けてあげたのに、感謝されるどころか邪魔者扱いされた。

 はじめは、「できるかどうかわからない」と思えた難しいことでも、
何とか目処がついて、何とかできそうだと思ったようなときも同じですよね。

 「こうなるべきだ」「こうあらねばならない」はずのものが、
思い通りにならなかったとしたら、頭のなかは無意識のうちに、何とかして、
その正当な理由を探し出そうとしてパニックになってしまいます。

 そして、こんな結果になったのは、
何かが間違っていたからだとしか結論を出せなくなり、
次には、何が悪かったのか、誰が問題なのかをみつけようとするのです。
 
 たいていの場合は、原因や犯人は、自分の外にいることが判明します。

 「あの人が邪魔をしたから、失敗したんだ」
 「どうして自分だけが、こんな扱いをされなければならないんだ」
 「私は精一杯がんばった。悪いのは、すべてあいつだ」

 そう考え出すと、それを証明する証拠はいくらでも出てきます。
 すると、ますますその相手に対して、強い感情が沸いてくるのです。

 もちろん、その感情とは、『怒り』です。

 『怒り』を抱えたままにしていると、それはやがて『恨み』へと変わり、
 誰も自分をわかてくれないと、強い『敵意』を感じるようになります。

 その問題の本当の原因は、どこにあったのかは別として、いつまでも、
その出来事を受け容れられずにいると、
さらに『罪悪感』を持ったり、『憂鬱』を感じるようになってしまい、
最後には『無力感』にとらわれるというように、感情は流れていきます。

 人によっては、問題はすべて自分にあると考えてしまいますが、この場合は、
 『怒り』よりも、自分を責めて『悲しみ』を感じることが多いようです。
 
 『悲しみ』の次は『罪悪感」、そして、『無力感』に襲われ、何もやる気がしなくなってしまうのです。
 
 大事なのは、そんな悪循環を創り出したのは、『悪いの○○だ』という考え方なのだということです。
 
 思い通りにならない出来事が起こったとしても、そんな考え方をしていなければ、
『怒り』も『悲しみ』という感情もなかったはずですよね。

 確かに、いくら考えても、原因はその「何か」や「誰か」にあるようにしか思えないかも知れません。
 それを証明する証拠も、いくらでもみつけることができるかも知れません。

 でも、感情の悪循環を招くような「犯人探し」や「証拠集め」をしても、あまり意味があることではないでしょうね。

 そこでひとつ提案したいのが、「おかげ探し」とその「証拠集め」というものです。

 もしも、思うようにいかないことがあって『怒り』や『悲しみ』を感じそうになったら、
心のなかで、こんなふうに言ってみます。

 「今、起こっていることには、すべて自分にとって意味があるんだ」

 神様でもいいし、宇宙でもご先祖さまでも、大自然でもいい。
 誰かが、自分のために、必要なときに必要なことを気づかせるために、
この出来事を与えてくれていると考えます。

 何か、誰かの「おかげ」で、今、こんなチャンスが目の前にあるのだ。
 
 信じられないとしても、とにかく、誰のおかげだろうと「おかげ探し」をして、そのための証拠を集めてみるのです。

 「そういえば、ちょっと調子に乗って無理をしすぎていたようだ。
  少しは休めということかな」
 「困難な状況になったけど、ここで自分の力が本当に試されるのだ」
 「いろいろ勉強して、次は、もっとうまくいく方法をみつけよう」
 
 ほら、そんなことを教えてくれていたようですね。
 証拠は、いくらでもみつかるでしょう。

 そんな気持ちで、起きた出来事に立ち向かっていけば、
どんな困難なことでも乗り越えられるし、そこからたくさんのことを学べます。

 考え方を変えるだけで、現実だって変化するのですね。


 感情の良循環を呼ぶ「おかげ探し」
 『意欲』と『喜び』を手に入れ、『元気』になる秘訣です。


----------------------------------------------------------------------

 「陽気でいることが、肉体と精神の最上の健康法である」

             -- ジョルジュ・サンド(フランスの小説家)--

----------------------------------------------------------------------

 目を閉じて、頭のなかで100円硬貨を思い描いてみてください。

 ……というと、たいていの人は、「100」という数字がある面をイメージするようです。
 
 なかには桜の花が刻印されている面を思い出す人もいるかも知れませんが、
 どちらにせよ、ひとつの面のイメージだけを考える人がほとんどでしょうね。

 でも、100円硬貨には、数字と花のふたつの面があります。
 両方があって、はじめて100円硬貨だということになります。

 「そんなこと、言われなくてもわかっているよ!」

 そう思った人もいるでしょうが、言われてはじめて再認識する人だって多いのではないでしょうか。

 ちなみに、硬貨は、どちらの面が表でどちらが裏かという規定はされていないそうです。
 ところが、私たちは、勝手に数字が書いてある方(あるいは桜の花の面)が
 表だと思い込んで、100円硬貨というと、無意識にその面だけを思い浮かべてしまっているようですね。


 あなたは、どんなときに「幸せ」を感じるでしょうか。

 志望校に合格したとき、はじめての給料、マイカーを手に入れたとき、愛する人との結婚式……

 思い返してみれば、そのときは苦労の末、
がんばって「幸せ」をつかんだような気もしますが、
いつも長続きしなかったようにも思っているのではないでしょうか。

 学校へ入れば、たくさん勉強をしなければならなかったし、
仕事がきつい割にはなかなか昇給しない不満を感じたりするようにもなったかも知れません。

 また、無理して買った車のローンで、小遣いが減ってしまったり、
結婚生活が、思い描いていたものと違っていたり、ということもあったでしょう。

 『幸せはなかなかやってこないし、長くは続かないものだ……』

 いつしか、それが真実だと思い込んでしまっていたとしても不思議はないでしょうね。
 実際に、その通りだと信じている人も多いようです。

 だけど、よく考えてみてください。

 目指していた学校へ入ることができただけで終わるのではなくて、
いろいろ勉強したから、それが人生の糧にもなっているはずでしょう。

 昇給に不満を感じるくらい、仕事で成果を出すように努力したことが、自分の能力を向上させたのですね。

 無理して手に入れた車だからこそ、大事に乗っていたし、
結婚相手との考え方や習慣の違いが、視野を広げてくれているのかも知れません。

 本当の幸せは、もっと深いところに存在しているのではないでしょうか。

 けっして、硬貨の一面だけを見つめている必要はありません。
 
 『いつも幸せはここにある。
  苦しいことは長くは続かないし、そのなかにもよろこびはある』

 そんな面だってあるのです。

 私たちは、どちらの面を見るかを選ぶことができます。

 たまには『幸せはなかなかやってこない』という面を見てしまうこともありますが、
それだって硬貨のひとつの面なのですから、それを見ないように隠してしまうことはありません。

 ただ受け容れて、しばらくその辛い感情を味わったら、自分の望む面を向ければいいのです。

 『いつも幸せはここにある』
 
 その面を見ていれば、いつも気持ちが明るくなるし、身体も元気に満ち溢れてくるでしょう。
 
 ……そんなときこそが、本当の「幸せ」だって、知っていました?


----------------------------------------------------------------------

 
「今を過ぎ去るこの時を生きよ。
  明日出来ることはそれに任せるがよい」


                  -- ホラティウス(ローマの詩人)--

----------------------------------------------------------------------

 『タイムスリップ』ということばを聞いたことがあるでしょうか。

 今現在の時間・空間から、突然、過去や未来の世界に移動することで、
よくSF小説やアニメに登場したりしますね。

 今までそこにいた人が、次の瞬間には消えてしまって、影も形もなくなるのです。

 消えた本人は、過去や未来のどこかに、急に現れることになります。
 今とは違う時間に存在して、そこで考えたり行動したりするのですね。
 
 「そんなもの空想の世界の絵空事だよ」とお思いでしょうが、
本当は、誰でも『タイムスリップ』をすることができるし、毎日何度も、時間を行ったり
 来たりしているといったら信じられるでしょうか?

 ……たとえば、目を閉じて、今、あなたにとって、いちばん気になっていることを思い起こしてみてください。

 それは、一週間ほど前に、ミスをしてしまった仕事のことでしたか?
 それとも、来週のはじめに控えている、大勢の前でのプレゼンテーションでしょうか?

 あるいは、昨夜の恋人とのデートかも知れませんし、来月に行く予定の海外旅行ということもあるでしょうね。

 どちらにせよ、きっと、目を閉じてあなたが考えていたことは、
もう過ぎ去ってしまったことか、これから起こると予想していることが多かったのではないでしょうか。


 それがどうして、『タイムスリップ』になるのかって?

 それはですね……

 三次元の世界に生きている私たちは、
もちろん肉体がどこか他の時間に移動するということは起こりませんが、
心は、すぐにどこか別の時間、別のところへ飛んでいってしまうのです。

 もし、心を実在として見ることができるメガネがあったとしたら、それをかけた人は驚くでしょうね。

 私たちの心は、ほとんど「今」という時間に存在していることはなく、
すぐに消えてしまい、いつも「過去」や「未来」へ『タイムスリップ』しているでしょうから。

 そう、毎日、何度も『タイムスリップ』しているのです。

 そんな答えでは納得がいかないかも知れませんが、
イヤなことでも、うれしいことでも、心に引っかかっていることに振り回されているときには、
いつも私たちは、今現在ではなく過去や未来にいるということは確かです。

 そして、過去や未来で、いくらがんばって考えたり行動したりしても、何も変化を起こすことはできないのです。
 これも確かなことですよね。

 ……ついでに、目を閉じて、こんなことを考えてみてください。

 今、あなたがやりたいと思っていることこと、望んでいること、夢や目標を思い描きます。
 
 そして、それに対して、「今」自分ができることを探してみます。

 どんなに小さなことでも構いません。
 目を開けたら、すぐに実行できることを見つけるのです。

 それだけで、身体が熱くなってきて、力がどんどん沸いてくるようには感じられませんか?
 
 もし、心を見ることができるメガネで、今のあなたを見たとしたら、力強く輝く姿を目にすることになるでしょう。

 「今」自分ができることをする。

 それこそが、自分の人生を、より良い方向へ変えていくことができる唯一の、
 そして最高の方法なのですね。


 どんなに小さなことでも、「自分が」「今」「できることをやる」
 良くなるために、夢を叶えるために……


----------------------------------------------------------------------

 「内なる道標に従えば、不可能はない」

     -- ジェラルド・G・ジャンポルスキー (アメリカの精神科医)--

----------------------------------------------------------------------

 機械は、急に調子が悪くなることがあります。

 外から見ても何も問題がないように見えるのに、動かなくなったり、おかしな動作をはじめたりします。

 そんなときには、動かない機械に向かって、「何をしている! もっとちゃんとしろ!」などと
怒鳴ったり、叩いたり蹴ったりして、無理やり動かそうとしても、うまくいくはずもありませんよね。

 機械のなかの全部が全部、悪いのではなくて、ちょっとした部品が壊れたり、
 位置がズレたりしていただけのことが多いのですから、
内部を調べ、問題になっている所を直せばいいだけのことです。

 問題が大きいのなら、部品ごと取り替えることだってできるでしょう。

 
 私たちも、急に気分が落ち込んでしまうことがあります。

 何かの拍子に、自分はなんてダメなんだろうと思ってしまったり、
世界でいちばん不幸であるように感じられて、何もやる気が起こらなくなってしまうのです。

 そんなときには、いくら「何をしている! もっとがんばれ!」と
自分に言い聞かせても、かえって苦しくなるだけのことでしょう。
 無理やり何かしようとしても、重苦しい気分に押しつぶされてしまいそうにもなりかねませんね。

 ひとりきりで思い悩んでいると、自分の苦しみが、
どんどん大きくなっていくように思えて、頭のなかがいっぱいになってしまいます。

 他のことは何も考えられず、ただ、自分がとても無力に感じられて、気分が重くなってしまうのです。
 そんなことが続くと、身体にも悪影響が出るかも知れません。

 ……そんなことになる前に、自分自身を、うまくいくようにコントロールしましょうよ。
 
 だって、苦しさや悩みに振り回されているのは、
何か、ちょっとした出来事がきっかけで、心のどこかに問題が起こったからなのですよね。

 ずっと自分のなかにいて、そんな重苦しい気分に浸っていても、原因は見えてきません。
 
 機械を分解して問題の場所を探すように、一度、そこから離れてみてはいかがでしょうか。

 なぜ、そんなに苦しいのか
 何が心にひっかかっているのか
 自分は何を恐れているのか

 他人を見るように自分を観察して原因を考えてみると、
頭のなかも整理されてきて、苦しさも薄れてくるかも知れませんよ。

 原因が見えてくれば、それに対して自分ができることをしてみたり、
自分の考え方や行動パターンに変化を起こすこともできるでしょう。

 部品を修理したり取り替えて、機械の問題を解決するように、自分をコントロールしてみるのです。

 また、この作業は、深く自分を理解できたり、
新しい自分を発見するすることにつながって、新たな展望が開けてくることもあるでしょう。


 知っているつもりで、わかっていないのが自分。
 でも、何でも知っていて、いつも自分の良い道標になってくれるのも自分。

 いつも信頼して、大切にしましょうよ。
 そして、ときには、じっくりと内面に向き合い、貴重なメッセージを受け取りましょう。

 気づかない人が多いようですが、自分自身は、必要があるときには、
悩みや問題という形で、私たちがもっと大きく成長していくためのきっかけを与えてくれているのですから。


----------------------------------------------------------------------



----------------------------------------------------------------------

 「問題の見方こそが問題なのである」

       -- スティーブン コヴィー(アメリカのコンサルタント)--

----------------------------------------------------------------------

 問題に出会うことを避けることはできません。
 
 いくら気をつけていても、困った出来事は起こるものですし、自分に過失がなくても、
思わぬ不幸に襲われることもあるでしょう。

 問題を避けようとして、気を張りつめながら生きていくのは、けっこう大変ですね。

 もしろ、問題に会うのは当たり前のことなんだと割り切って、どう乗り越えていくか、
いかに自分の成長の糧にしていくか、という方向に意識を向けている方が楽に生きて行けるようです。


 私たちが、何か問題に出会って苦しんでいるというとき……

 それは、ひょっとしたら、問題に出会ったということではなくて、
その問題に、どう対処しようとしているかが、本当の問題なのかも知れません。

 問題に立ち向かっていくときの姿勢には、人それぞれの傾向のようなものがあるようです。

 問題になっていることに真正面から立ち向かって、徹底的に解決しようとする人もいますし、
自分を被害者に仕立て上げ、まわりの同情をひくことで、問題から逃れようとする人もいます。

 あるいは、イヤなことになりそうだと感じたら、すぐにそこから逃げ出そうとする人もいます。

 ……すぐに会社を辞めてしまったり、イヤ人からの電話には居留守を使ったりする人ですね。

 泣いたり叫んだりして、感情を外に出すことで発散するのがいいと思う人もいるでしょうし、
すべてを自分のなかに抱え込んでしまう人もいますね。

 リストラされたという問題なら、「あんな将来性のない会社、辞めてよかったよ」などと
合理化することで、心が傷つくのを抑えようとする人もいるでしょうね。

 これらは、その人が、さまざまな経験のなかで身につけてきたクセのようなもので、
問題を解決するのにいちばん効果的な方法だと、無意識に思っているもののようです。

 だから、その人は、どんな問題でも、気づかないうちに、同じように対処しようとしています。

 ところが、それが実際には、そんなふうに対処しても、
本当には問題が解決されることがなく、いつまでも同じ問題に悩まされていたり、
似たような問題に何度も出会っている人も、よくいるようです。

 なぜそんなことになるのかというと、問題にもいろいろ個性があって、
それに応じた対処法があるのに、いつも自分なりの同じやり方で立ち向かおうと
しているからなのではないでしょうか。


 たとえば、柔道のことを考えてみてください。

 いくら、『力がある方が強い』と信じて、身体を鍛えていても、
もっと力がある相手と戦えば負けてしまうでしょうし、かわされて技をかけられたら、
 どうしようもないでしょう。

 また、ひとつの技を極めることも大切でしょうが、
いつもいつも、同じ技しか使えないとしたら、とても適わない相手もいるでしょうね。

 柔道では、自分なりの立ち向かい方、得意技をうまく活かしながらも、
相手によって、臨機応変に対処することも必要です。
 
 ひとつのやり方でうまくいかなかったら、違う方法を試してみる。
 自分の得意な技がきかなかったら、それにこだわることなく、いろいろな技を使ってみる。

 そんなことができる人が、本当に強い人だということができるようですね。

 
 問題とは、私たちが、さらに大きく成長できるように、
さまざまなことを教えてくれるためにやってきた、柔道の練習相手だと考えてみてください。

 ぜひ気づいて欲しいことがあるから、私たちの前に現われてるのですから、
 それを会得するまでは、逃げても、戦わない理由を探しても、何度でも向かってくるでしょう。

 この試合は、そんなすばらしい機会なのですが、何も学ぼうとせず、
イヤイヤ同じやり方で受けているのなら、問題は、自分を苦しめるだけのものになるでしょう。

 でも、いろいろ工夫しながら、前向きに立ち向かって、
クリアすることができれば、大きなものを学べることになるでしょうね。
 
 どうせ問題に立ち向かうのなら、そんなふうに意識を変えてみてはいかがでしょうか。


 問題は、実は問題ではなくて、自分がそれをどう受けとめるのか、
どう活かしていくかこそが、本当の問題なのですね。



----------------------------------------------------------------------

 「喜びの一日は、悲しみの二日に勝る」

                          -- ユダヤの格言 --

----------------------------------------------------------------------

 色違いのタイルが交互に敷いてあるような道に出会ったら、たとえば黒なら
 黒、白なら白と、心のなかでひとつの色を決めて、その色のタイルだけを踏んで通るようにする。

 子供の頃、そんな遊びをしたことはありませんか。

 タイルの間隔が広かったり、ときどき、変わったパターンで、
色の違うタイルが置いてあることが多いほど、違う色のタイルに足がつきそうになって、
 スリルがありましたね。

 やっているうちに夢中になってしまいます。
 もし、失敗して、他の色のタイルを踏んでしまったら、
「残念! 今度は、うまくやろう」などと、楽しんでいた記憶があります。

 あるとき、こんなことを思いながら、この遊びをしたことがあります。

 「絶対に、決めた色以外のタイルを踏んではいけない。
  もし、違う色に足をついたら、悪いことが起こるに違いない」

 ぜんぜん楽しくありませんでした。

 そんなことを思えば思うほど、緊張して足に力が入ってしまうような気がします。
 そのせいかどうか、ほんの少しだけ、決めた色以外のタイルに足がかかって
 しまったのですが、その後、気になって気になって仕方がありませんでした。

 何か悪いことが起こるのではないか……
 こんな簡単なことを失敗するなんて、なんて自分はダメなんだろう……

 そんなことばかりを考えて、落ち込んでしまいたのです。
 結局、特に悪いことも起こらなかったようですが、その日は、
一日、気が重いまま過ごすことになってしまいました。

 
 誰だって、「自分はこう生きたい」、「こんなことは起こらないで欲しい」
 「それはしてはいけない」などと、心に思っていることがあるでしょう。

 イヤことは、なるべく起こって欲しくはないし、自分が考えるように事が運ぶことを願うものですね。

 でも、なかなか思うようにいかないのが人生。
 
 いいことが起こったかと思えば、あまり良くないことも起こります。
 うまくいっているときはいいですが、失敗したり、逆境に出会うことも、よくあるものです。

 苦しいとき、辛いときに、そのまま落ち込んでつぶれてしまうか、その体験を糧に、
もっと大きくなっていくことができるかの違いは、心のなかにあるのかも知れませんね。

 私たちは、いいことが起こったから楽しくて、イヤなことにであったから、
 気分が沈むんだ、と思いがちですが、本当は、
自分がどんなふうに世界を見ようとしているのかで決まるのではないでしょうか。

 「こうしたい」と願って、楽しみながら進んでいくか……
 
 「こうなってはダメだ」と、自分で決めたことに縛られながら、窮屈に歩いていくか……

 まったく同じように自分が決めた色のタイルを進むのでも、
それを楽しむこともできますし、失敗を恐れて苦しむこともできます。

 
 私たちは、万華鏡のように世界を見ているのかも知れません。

 今、自分の見ているものがすべてだと思っているのですが、
少し万華鏡を回してみれば、まったく別の世界が見えてきます。

 でも、新しく見えてきた世界が絶対だと思う必要もありません。
 そんなものに振り回されることもないのです。
 
 目から万華鏡を離してみて、自分の見たい世界を作ることだってできるのです。
 
 そう、ずっと前から、そして、これからも、あなたには、そんな力を持っているのですよ。

 万華鏡は、楽しむためにあるのです。
 さあ今日も、喜びに満ちた一日がはじまりますよ!



----------------------------------------------------------------------

 「未来は、自分の夢の素晴らしさを信じる人のものである」

          -- エレノア・ルーズベルト(アメリカの大統領夫人)--

----------------------------------------------------------------------

 20センチメートルくらいの糸の一方に、5円玉を結びつけます。

 糸のもう一方の端を指でつまみ、5円玉を見ながら、
振り子のように左右に揺れているところをイメージしてみます。
 
 しばらくすると、5円玉は、本当に左右に揺れてくるはずです。
 
 前後に揺れているところを考えると、前後に揺れますし、
円を描いて回っていると想像すると、そのとおりに動くでしょう。

 自分では、まったく指先を動かしているつもりはないのに、頭のなかのイメージに従って、
微妙に筋肉が動いて、そのイメージを実現化しているのでしょうか。

 「思ったことが実現する」
 「人は、自分が考えているとおりの人間になる」

 ……とは、よく言われることですが、こんな形でも実証できるのですね。

 ちょっとインチキくさいと思う人もいらっしゃるかも知れませんが、確かめてみてください。

 絶対に5円玉が動かないようにがんばっていても、左右に揺れるところを想像していると、
必ずいつかは、その動きが実現してしまうでしょう。

 これは、5円玉を見ながら、「左右に揺れろ、左右に揺れろ」と、心のなかで
 何度か言ってみても同じことが起こります。

 同じように、私たちが、いつも考えていたり、想像していたり、思っていることは、
いつかは現象として実現するもののようです。

 つまり、今の自分の立場や環境などは、すべて、自分が過去にイメージしたり、
考えたことが現実になったものだ言うことができますね。

 え?

 今の自分に、あまり満足していないって?
 こんな自分になろうなんて、考えたこともなかったはずだって?

 そんなふうに思った人は、もう一度、さっきの糸と5円玉を取り出してみてくださいね。

 そして、今度は、5円玉を見ながら、左右に揺れないようにしてみてください。
 絶対に、左右に動くようなことがあってはダメですよ。

 すると……
 やっぱり、5円玉は、左右に揺れてしまうでしょう。

 そう。
 「こうなりたい」と思い続けることが現実になるのと同じように、
「こうはなりたくない」「こんなのイヤだ」と頭のなかで繰り返していることだって実現することになるのです。

 だって、「こうなってはいけない!」と思うたびに、
そうなってしまっている自分をイメージしていることになるのですから。

 5円玉を見ながら、「左右に揺れるな!」と考えるたびに、
どうしても、揺れているところが、頭のなかに浮かんできてしまいますよね。


 私たちが生まれたときは、まわりには、「自分ができること」だけしかありませんでした。
 
 それ以外で、興味のないことは、すべて「しなくていいこと」だったのです。

 それが、さまざまな経験をしたり、親や教師からいろいろ言われ続けているうちに、
まわりにあるものは、「自分にはできないこと」か「しなくてはならないこと」ばかりになってしまったようです。

 幼い頃には、無限にあった『可能性』も、年を経るに従って、
どんどん手のなかからこぼれていき、今や、ほんのわずかに残るだけ。

 だから、そんな「できない」ことだらけの人生を、望んでもいないのに
「しなければならない」ことをやらされて生きている……


 ここで、一度深呼吸をして、ちょっと視点を変えてみましょうね。

 今まで私たちが、失敗したり、叱られたり、壁にぶつかって挫折したり、
という体験をとおして学んできたものは、実は、「できないこと」「しなくてはならないこと」ではなかったのです。
 
 それは、「自分ができること」のなかから、心から望んでいること、
自分が目指すべきところを、絞り込んでいたのです。
 そして、そのために必要なことを、学ぶ機会を与えてくれていたのです。

 そう思うと、気分が違ってくるようには感じられませんか。
 早くも、ポジティブ方向へ、人生が変わりはじめているのです。


 ……そうそう、5円玉を絶対に左右に動かないようにするのは、とても簡単です。
 「左右に動くな!」と考えるよりも、動かずに止まっている5円玉をイメージすればいいだけのことです。
 
 いつだって、「できないこと」よりも、今、自分が「できること」、そして、
 「やりたいこと」に焦点を向けてみましょうよ。

 あなたのすばらしい、夢と未来のために。



----------------------------------------------------------------------

 

----------------------------------------------------------------------

 「いつも楽しく暮らすよう心がければ、
  外的環境から完全に、あるいはほとんど解放される」


               -- スティーブンソン(イギリスの小説家)--

----------------------------------------------------------------------

 昔、昔、中国でのこと。

 国境の塞(とりで)近くに住んでいた老人の馬が、どこかへ逃げていってしまうという事件がありました。 
 老人は、その馬をとても大事にしていたのです。

 近所の人々は、「残念でしたね」「不幸な目に遭われて、
大変ですね」などと口々に慰めのことばをかけましたが、
老人は、「いいや、これは良いことになるかも知れない」と、平然としています。

 なるほど老人が言ったとおり、しばらくすると馬が戻ってきました。
 それも、別の立派な馬を何頭も、一緒に連れてきたのです。

 人々は、「これは、本当に良いことになりましたね」と祝福しました。

 ところが、今度は老人は苦笑しながら言います。
 「いや、これは悪いことになるかも知れんな」

 案の定、新しい馬を気に入って乗っていた老人の息子が、落馬して、
足の骨を折る大ケガをしてしまいました。

 近所の人たちは、「とんだ災難に遭われましたな」と、お見舞いに集まりますが、
老人は、「いや、これは福になるに違いない」と答えます。

 やがてその地方に戦争が起こり、老人の周りの若者たちは、
兵隊として駆り出され、多くの者が命を失うことになりました。
 
 老人の息子だけが、足のケガのおかげで戦場へいくことを免れ、命が助かったということです。


 ……これは、ご存知「人間万事塞翁が馬」という故事成語の元に
なったお話で、『淮南子』に載っているものです。

 良いと思ったことが、不幸に結果になり、災難に思えたことが幸運にもなる。
 人生は、このように予測がつかず、一筋縄ではいかないということを教えてくれているようですね。

 というよりは、生きていくうえでは、さまざまな出来事に出会いますが、
それに対して勝手に、「良いこと」「悪いこと」と判断して、
一喜一憂している私たちを戒めているというのが本当なのかも知れません。

 「出来事」はあくまでも、ただの「出来事」に過ぎず、良くも悪くもないのに
、人それぞれ勝手に判断して、喜んだり、悲しんだりしているのです。

 自分で勝手に作り上げた、ありもしない「幸福な出来事」「不幸な出来事」に
振り回されてしまっているのですね。


 たとえば、2つの選択肢があって、どちらかを選ばなければならない状況になったとします。

 私たちは、選んだ方の結果を見て、「うまくいった」「失敗だった」と判断しますが、
これだって、やっぱり自分で勝手に判断しているのかも知れません。

 参考までに、どちらを選んでも「失敗」になる方法を、お教えしましょうか。

 それは、自分の選んだ方の結果よりも、選ばなかった方ばかりを気にしたり、
 執着したりするというものです。

 たとえ、選んだ方の結果が、満足いくものであっても、とてもダメだと思っていたとしても同じです。

 もし、もうひとつの選択肢を選んでいたら、もっといい結果になっていただろう、
と思うのなら、自分の選んだ方は失敗になってしまいます。

 仮に、別の方を選んでいたら、もっと惨めな結果に終わるとわかったとしても、
それを気にして「選ばなくて良かった」「選んでいたら大変だったろうな」などと
気にするのなら、それだって「失敗」になる可能性があります。

 だって、そんなことが気になるということは、「今回は、たまたまうまくいったけれど、
次はどうなるかわからないぞ……」、と自分を脅しているようなものなのですから。

 これでは、どんな結果でも、とても楽しめるものではありません。

 では、どちらを選んでも「うまくいく」方法も、お伝えしましょうね。

 もうおわかりの方も多いと思いますが、「自分が選んだことを尊重し、責任を持つ」ということです。

 「責任を持つ」とは、ちょっと大げさですが、つまり自分が選んだことを、
 誰かや何かのせいにせずに、結果をそのまま受け止めるということです。

 結果が、満足いくことならば、ただそれを充分楽しめばいいのですし、
あまり納得のいかないものだったとしたら、そこから気づくことや学べることを
 しっかりと見つけ、次のチャンスに生かしていけばいいのです。

 「もし、〜だったら……」そんなことは気にして、時間を無駄にしなくてもいいのです。

 「幸せな出来事が起こらないと幸福になれない」、そんなこともありません。

 人間万事塞翁が馬

 どんな出来事で出会おうとも、どんな環境にいようとも、自分が楽しく生きようと選んだのなら……
 
 今までも、そしてこれからも、私たちは、いつも最高に幸せだったし、
本当に楽しく生きることができるのですよね。


----------------------------------------------------------------------

 「どれほど苦しいかではなく、どれほどの喜びを感じるかが肝心なのです」

              -- エリカ・ジョング(アメリカの小説家)--

----------------------------------------------------------------------

 流れ星を見つけたとき、消えるまでに3回願い事を唱えれば、
その願いは叶うと言われていますね。

 ただの迷信や言い伝えだという人も多いと思いますが、
実は、これには根拠があるということを聞いたことがあります。

 流れ星には、いつ出会うかわかりません。
 しかも、見つけてから消えてしまうまで数秒ほどですよね。

 そんな咄嗟でわずかな時間に、願い事を3回言うことができるのは、
ふだんから自分が望んでいることを、はっきりと意識している人ということになるはずです。

 その人の心は、いつもその願い事に向いているでしょう。
 ちょっとした情報でも敏感にキャッチできますし、
常に、願いを実現するチャンスを探そうとしているでしょう。

 つまり、その人は、早かれ遅かれ、自分の願っていることを実現することになるのです。
 
 だから、流れ星を見つけたときに、3回願い事を唱えれることができれば、
いつかは必ず、その願いは叶うのだということです。


 そう……

 いつも自分が願っていること、見つけようとしていることは、
実にその人に引き寄せれることになるようです。

 過去を振り返ってみると、辛いこと、苦しいことばかりだったと思える人。
 そんな人は、きっと、今も辛くて苦しい生き方をしているのではないでしょうか。

 悲しいことがたくさんあったと思い起こす人は、
いつも悲しい出来事ばかりが起こり続けているかも知れませんね。
 
 逆に、楽しいことが多かった、うれしい出来事ばかりだった、と思える人は、
 今も、楽しくてうれしいことが起こりやすいでしょうね。

 もちろん、誰にだって辛いこと、悲しいことは起こるはずです。
 それでも、そこから喜びや楽しさを見ることができれば、
いつしか、それも引き寄せられてくるのでしょう。

 目の前の出来事が、どれだけ苦しいのかではなく、何を学ぶことができるか、
 どれほど喜びを見つけることができるかが大切なのではないでしょうか。

 喜びを見ることができる人。
 その人こそが、本当に幸せな人なのですよね。


 ……幸せな人になるのは、とっても簡単です。

 いつ流れ星を見つけてもいいように、
いつも自分が、もっと楽しく生きることができるように、
もっと喜びを感じることができるように、
いつも心に願い事を抱いていればいいのだけなのですから。


----------------------------------------------------------------------

 「きのうと同じことを、きょうは繰り返すまい。
  どんな小さなことでもいい。どんなわずかなことでもいい。
  多くの人々の、このわずかなくふうの累積が、大きな繁栄を生み出すのである」


                      -- 松下幸之助(実業家)--

----------------------------------------------------------------------

 自分の部屋が、とても散らかっています。

 毎朝起きるたびに、「なんて汚い部屋だ」と情けなくなってしまいます。

 今日こそは、仕事から帰ったら掃除をしようと決意して家を出ますが、
帰宅すると疲れていて、それどころではありません。

 次の休日には、絶対に何とかしようと計画をたてても、いざ休みの日になると、
面倒だったり、他にしたいことがあったりで、なかなか片付けることができないのです。

 いつかは思い切って、部屋をすべて整理し、キレイに掃除をしてスッキリさせようとは思っています。

 ……でも、今日も、乱雑な部屋を見ながら、ため息をついてしまいます。


 確かに部屋を掃除したり、全部を整理整頓することは面倒だし、時間もかかります。
 「大変だ」という気がして、なかなか手をつけられませんよね。

 けれど、床に落ちている本を一冊拾い上げて、本棚に戻すことくらいは、すぐにできるのではないでしょうか。
 あるいは、机の上のペン立ての位置を直したり、もう用が済んだメモ書きを
 ゴミ箱に入れることだって、今すぐできますよね。

 たったそれだけのことでも、ほんの少しは、気分が違ってくるような気がしませんか。

 もちろん、それはほんの僅かな違いです。
 でも、それが、毎日、あるいは何日かに一回、気がついたときにやり続けたとしたら、
一月後、半年後、一年後には、どう変わっているでしょう。

 きっと、前よりはかなり部屋は片付いているはずですね。
 そして、情けない気分になることもなくなっているでしょう。
 
 それどころか、掃除をすることの気持ちよさを知って、いつもキレイに整理しているかも知れません。

 とても大きな変化ですよね。

 散らかった部屋を見ながら、何もできないとあきらめていることはありません。
 どんなわずかなことでも構いません。
 自分が望む方向へ向かって、ちょっとした行動を起こして、
それを積み重ねれば、それが大きな違いを生み出すきっかけになるのです。


 仕事に意味を感じられなくて、毎日、苦しんでいる。
 人間関係で悩んでいる。 
 自分に自信を持てなくて辛い。

 いつかは何とかしたい。
 どこかで変化を起こしたい。
 
 そう思いながらも、なかなか行動を起こせなくて、今日も、ため息をついて
 しまう……

 同じことですよね。

 仕事がつまらないのなら、違った角度から見直してみるために、
自分の仕事に関する本を読んでみることからはじめてみてはいかがでしょう。
 場合によっては、そこまで行く必要もなくて、まずは本屋さんで、
背表紙を眺めてみるだけで充分だということもあるでしょうね。

 人間関係で困っているとしたら、たとえば、思い切って挨拶をしてみるとか。
 それが難しいように思えるのなら心のなかで、「こんにちは」とつぶやいてみることくらいはできるでしょう。
 
 自分の長所をみつけるために、スポーツでも趣味でもいいから、
まずは自分が好きなことの勉強をはじめてみるなど。

 はじめから大きなことはできなくても、自分が望む方向を見て
、少しだけそこに近づくことはできるはずですよね。

 自分には何もできないと、あきらめることはありません。
 ほんの少しだけ、今、自分ができることをやってみればいいのです。


 まずは、『ほんの少しだけでも、できることをみつけてやってみよう』そう
 心のなかで決めてみましょうか。

 ほら、たったそれだけで、すごく大きな違いが生まれてきたでしょう。



----------------------------------------------------------------------

 「大きな苦しみから わたしは小さな歌をつくる」

                     -- ハイネ(ドイツの詩人)--

----------------------------------------------------------------------

 飲み終わったジュースのペットボトル。
 買った商品の包装紙。
 読んでしまった雑誌。


 「もう、こんなもの必要ない!」
 そう思って捨ててしまえば、それはただのゴミです。
 
 少なくとも、捨てた人にとっては、もはや何の意味もなく、忘れ去られていくものとなってしまいます。

 そしてまた、新たなゴミを買い、捨て続けるということを繰り返すでしょう。
 それ以上のことはありませんし、それ以下のこともありませんね。

 でも、リサイクルできるように、キチンと選別するように心がければ、出すものは資源になります。

 どんな形で再生されるのか、どう再利用されるのかにまでを気にかけるとしたら、
それはもう資源以上の意味を持つようにもなりますね。

 当然、資源問題にも関心が広がり、地球規模の大きな視野で考えるようになるでしょう。
 さらに、どうすれば、ムダを省けるか、貴重な資源を守るために、
自分ができることは何かということにも思いは届いていくはずです。

 確かに選別したり、資源の再利用を考えるのは面倒なことかも知れません。
 だけど、それが、ただの『ゴミ』と再利用できる『資源』を分ける違いになるようです。


 私たちの人生でも、日々、さまざまな出来事と出会い、いろいろな経験を繰り返します。
  
 うれしいこと、楽しいことばかりではなく、辛かったこと、嫌な思いをしたことも、たくさんあるでしょうね。

 なかには、思い出したくないこともあるでしょうが、「もう、こんなものはいらない」と、
見えないところに捨て去ってしまっては、その経験は、ただのゴミにしかならないでしょう。
 
 ひょっとしたら、大きな意味があってそんなつらい経験をしたのに、
必要なことを学ばないままで捨ててしまうのならば、
また、同じようなことに何度も出会うことになるかも知れません。

 いらないものをいつまでも持っている必要はありませんが、
少しだけでもそこから何かを学び取ろうという気持ちを持ったり、
自分にとってどんな意味があったのかを振り返ってみたりするだけで、
後の人生に、大きな違いが生まれてくるのではないでしょうか。

 本当は、どんな経験だって、『ゴミ』なんかではなくて、これからの人生に役立つ立派な『資源』になるのです。

 そして、それが、自分の人生にとってムダを省き、
意味を持つことにトライしていこうという気持ちを生み出しますし、さらに良く生きるためには、
 どう『資源』生かしていけばいいかということにも思いを馳せることもできるでしょう。


 そう……
 今日、あなたが出会った、辛い経験。
 
 もちろん、それも大きな意味があるのです。
 
 きっと、明日には、とても美しい歌になって、あなたの人生を彩ってくれるのですから。

 今よりもっと、大きくなるために……



----------------------------------------------------------------------

 「幸福になるのは、自分の好きなものを持っているからであり、
    他人がよいと思うものを持っているからではない」


            -- ラ・ロシェフコー(フランスのモラリスト)--

----------------------------------------------------------------------

 以前にも書いたことがありますが、昔、合気道をされている方に教えていただいたことです。

 よかったら、相手をみつけて、次のようなことを試してみてくださいね。

 まず、ひとりが、「気をつけ」の姿勢をしたまま、真横に腕を持ち上げます。
 そのとき、手のひらを上に向けて、腕を真っ直ぐに伸ばすようにしてくださ
 い。
 
 もうひとりは、両手でその腕をつかんで、肘のところで曲げるように力を込
 めます。
 
 腕を伸ばしている人は、曲げられないように抵抗します。

 どうでしょうか。
 よほど腕力の差がある場合は別として、いくら力を込めて腕を伸ばして、
が んばっていても、きっとすぐに曲げられてしまうでしょう。

 面白いことに、曲げられないように抵抗すればするほど、腕を掴んでいる人にも、
知らず知らずに熱が入って、どんどん力をかけていくことになります。
 絶対に曲げてやるぞという気になってくるようです。

 力が拮抗しているときなどには、ふたりとも疲れきって、息が荒くなってしまうこともあるのです。

 次に同じ人が、もう一度、同じような姿勢で腕を伸ばしますが、今度は、
曲げられないようにがんばるのではなく、こんなことを思ってみてください。

 立っている自分の両足は、どっしりと大地に根付いていて、地球の中心から
 光の線が入ってきて、それが、身体を通り、伸ばした腕から指先を通り抜けている。
 ずっと遠くの方まで、光が伸びていっている……

 そして、もうひとりは、その腕を曲げようと思いっきり力をかけてみます。

 すると、先ほどとは違い、不思議なことに伸ばした腕はビクともしないのです。
 少々力の差があっても、なかなか腕は曲がらないでしょう。

 興味深いことに、光をイメージしながら腕を伸ばしている人は、まったく疲れることはありません。
 人によっては、腕を曲げられようとしていることさえ気にならないと思えることもあるようです。

 腕を曲げようとする人も、何だか気が抜けてしまって、
あまり力が入らなくなってしまうことも多いのです。


 教えてくれた方は、こんなことを言っていました。

 「人は、無理をしてがんばっていると、とても疲れてしまう。
  ただ自分自身でいるときに、いちばん強い力を出すことができるのです」


 こんな目標を叶えたい。
 こんな人になりたい。
 人のために、こんなことをやりたい。

 毎日がんばっているのに、こんなに一生懸命に努力しているのに、なぜか疲れてしまう。

 そんなときには、ちょっと振り返ってみてくださいね。

 その目標や目指していることは、すばらしいことなのでしょう。
 そして、いつかは手にすることができるものなのでしょう。

 でも、それは、今のあなたにとって、やりたいことなのでしょうか。
 本当に、あなたの魂が喜ぶことなのでしょうか。

 思い出してくださいね。
 あなたは、あなたらしく生きているときが、いちばん大きな力を発揮することができるのです。

 がんばることは大切ですが、無理ばかりせずに、ときには、自分の好きなように生きてもいいのですよ。


----------------------------------------------------------------------

 
「何かをすると決めることは、
  それ以外のことをしないと決めること」


                              -- 中谷彰宏 --

----------------------------------------------------------------------


 プロ野球の世界では、2割7分の打率のバッターは並の選手ですが、
3割バッターとなればば強打者といわれます。
 年棒や新聞記事の扱いもかなりの違いがあるようですね。

 ところが、2割7分と3割の差を計算してみると、ヒットの数はそんなに違わないようです。

 仮に年間の打席を400としてみると、3割バッターのヒット数は120本程度。
 そして、2割7分の選手のヒットは108本になります。
 その差は、わずか12本。

 年間を通して10試合に1本ほど多く打つことができれば、並のバッターが強打者になってしまうのです。

 この違いはどこから生まれるのかというと、たとえば点差が開いた4打席目を、
何とかヒットを打とうと一生懸命になるか、気を抜いてしまうかということの差だということです。

 たとえ能力的には、そんなに違いがなくても、どれだけ目の前のことに対して真剣に取り組むことができたか、
ということで結果は大きく違ってくるようです。


 これはプロ野球の世界だけでなく、私たちの仕事や人間関係にも当てはまることではないでしょうか。

 接客の仕事をしている人なら、
 「いらっしゃいませ」
 のひとことを、心を込めて言うか、何となく言うかでお客様に与える印象がかなり違ってきます。

 クリーニング屋さんだって、心をこめてアイロンをかけると、仕上がりがまったく違ってくるそうです。

 人間ですから、いつもいつも明るく元気よくがんばるとはいかないかも知れませんが、
それでもそのときはそのときなりにベストを尽くすということは可能なはずです。

 けっして無理をする必要はありません。
 ほんの1割ほどの違いを生みだすように心がければいいのです。

 そんなことをしようとしない人に限って、
 「私には、才能がないから……」
 「自分はツイていない」
 などと、思い込んでいるようです。

 あるいは、
 「私には、他に本当にやりたいことがあるんだ」
 ということを言い訳にしている人もいるようですね。

 でも、あなたの目の前のことは、仕事にせよ勉強にせよ、または人間関係にせよ、
どこかで自分がやってみようと決めたから、そこにあるのではないでしょうか。

 「そんなことはない。私は、こんな仕事をしたいなんて思っていなかった」
 「これしか選択の道がなかったから……」
 などといったって、他の道を選ばなかったということは、あなたがそれを選んだということなのです。

 そんな気になって目の前のことに、今以上にもう少しだけ真剣に力を出すようにしてみませんか。
 そうすれば、今までとは違う自分が見えてくるかも知れませんよ。

 私たちの本当の力は、そんなふうに使えば使うほど、ますます大きくなっていくのです。
 運がいいとか、才能があるとは、そんな力の使い方をしている人のことのようですね。

 そして、そんな人こそ、気が付けば、本当に自分のしたいことをすることが
 できていたという結果になっているのではないでしょうか。



----------------------------------------------------------------------

 「自分の今行っていること、行ったことを心から楽しめる者は幸福である」

                                  -- ゲーテ --

----------------------------------------------------------------------


 ロシアの文豪トルストイが残した民話のなかに、
『人間はどれだけの土地がいるか』というお話があります。

 ひとりの農夫が、今よりもっと広い土地がほしくなります。
 そこである商人とこんな契約をするのです。
 千ルーブルを払えば、1日かかって歩いた分の土地が農夫のものになる。
 ただし、日没までに出発したところまで戻ることができなかったら、
土地は手に入らず、千ルーブルも商人のものになる。

 農夫は、日が昇るのと同時に歩きはじめます。
 そのうちに、あの野原もほしい、あの丘も自分のものにしたいと、
どんどん遠くまで歩き続けていったのです。

 日暮れが近づいたことを知った農夫は、あわてて駆け戻りますが、
とうとう力つきて出発点を目の前にして倒れて息絶えるのです。

 結局、その農夫に必要だったのは、その死体を埋葬するための、
ほんの少しの土地にすぎなかったのでした。


 人間にとって、本当に必要なものはどれくらいあるのでしょうか。
 
 ものやお金をたくさん所有しているということが、必ずしも幸福と結びつく
 とは限らないようですね。
 逆に、持てば持つほど、ものにしがみつくようになり、かえって自由を失っ
 てしまうというケースも多いようです。

 そんな人は、自分が持っているものにはもはや目もくれず、あれが足りない
 これも欲しいと、常に他のところに意識がいってしまうようです。

 また知識や情報にしても、たくさん知っていることがけっして
楽しく生きていくことに役立つものではないようです。
 それどころか、現代人は、いろんな人の言動に惑わされて、あれもいいかも
 知れない、これこそが本物だと振り回されてしまっているようですね。

 人間が生きていく上で、本当に必要なものや情報は、
そんなにはたくさんあるわけではないようです。

 大切なのは、ものや知識を、たくさん持っていることではなくて、今持って
 いるもので、どれだけ生活を楽しむことができるかということではないでしょうか。

 そのためには、何かに執着したり、こだわったりすることを手放して、
もっと心を自由にしてあげてもいいかも知れませんね。

 意識が広くオープンになれば、シンプルなもののなかに
本当に必要なものをみつけることができるでしょう。
 そして、より楽しく生きていくことができるようになります。

 そうすると、きっと気づくようになるでしょう。
 今自分が持っているものが、本当にすばらしいものであることを。
 また、今自分がやっていることが、何かを得るための義務ではなく、
よろこびをもたらしてくれているということを。

 そんな満たされた毎日こそが、本当の幸福なのではないでしょうか。



----------------------------------------------------------------------

 「人生は己をさがす旅である」

                           -- 藤本 義一(作家)--

----------------------------------------------------------------------


 目標に早く到着しようと、一生懸命になることは、時として、かえって遠回
 りになってしまうことにもなるようです。
 早く進むことが、早く目的地に到着するとはかぎらない場合もあります。

 それが短距離走のように、すぐ目の前に到達しなければならない目標がある
 のなら、もちろん集中的に全力を出し切る必要があるでしょう。

 でも、フル・マラソンを走るときは、はじめから飛ばしていればすぐに疲れて息切れしてしまいます。
 ペース配分や、気持ちをリラックスさせることが大事ですよね。

 大きな目標や夢に向かって進むときも同じです。
 がむしゃらに目標だけを追い求めるのではなく、たとえば「山登り」でもするつもりで、
まわりの景色も楽しんでみてはいかがでしょうか。

 調子がいいときは、どんどん進んで行きましょう。
 何かにつまづいたり、歩くのがつらいときには、ペースを落としたり、しばらく休んでもみてもいいのです。

 目標に到着するのが遅くなってしまう……
 とあせることはありません。

 休息したり、立ち止まっている時間は決して無駄ではないのです。
 美しい自然を眺めたり、おいしい空気を吸って、のんびりとしてみてください。
 そしてこれまで来た道を振り返ってみたり、これからの道程を考えてみましょう。
 急いでいるときには、見過ごしていたような、さまざまなことが見えてくるかも知れません。

 充分休息すれば、元気を取り戻して、新たな気持ちで進んでいくことができます。

 作家の吉川英治もこう言っています。

 「登山の目標は、山頂と決まっている。
  しかし、人生の面白さ、生命の息吹の楽しさは、
その山頂にはなく、かえって逆境の、山の中腹にあるという」

 山頂にたどり着いてみれば、途中の景色や、いろいろな出来事こそが、
大切な思い出になるのかも知れませんね。
 そこでの体験や、新しい発見が私たちを大きくするのです。


 人生という名の「旅」だって、いつもいつも一生懸命に、がんばってばかりいる必要はありません。
 ちょっと行き詰まったり、疲れてしまったと思えるときには、あせらず、
急がず、のんびりと休んでみましょう。

 ゆっくりとまわりを見回してみれば、いろいろなものが見えてくるかも知れませんよ。

 そんなときこそが、あなたが一回り大きくなれる、チャンスなのです。
 そして、新しい自分に出会える瞬間なのかも知れませんね。


----------------------------------------------------------------------

 「人間の偉大な価値は、人間が外界の事情にできるだけ左右されずに、これ
  をできるだけ左右するところにある」

 
                                            -- ゲーテ --

----------------------------------------------------------------------


 失敗や挫折をしても立ち直るのが早く、苦しい経験からいろんなことを学び取り、
それを成功に結びつけている人たちには、いくつかの共通点があるようです。

 たとえば、

 ・ 失敗や挫折の中に、自分の糧になるものはないかと考える。
 ・ 自分以外の人には期待しない。
 ・ 苦しい状況を別の視点で見ることができる。

 そうかと思うと、何かうまく行かないことがあると、すぐに他人のせいにしたり、
自分はついていないと、いつも嘆いている人もいます。

 ド・シャームという心理学者は、チェスにたとえて、人間は「指し手」と
 「コマ」の二種類に分類することができると言っています。

 「指し手」とは、自分の運命は自分が支配していると考え、どんな結果でも
 自分に責任があるとする人です。
 また、「コマ」とは、自分の運命は誰かに支配されていると感じ、まわりの
 状況に振り回されている人たちです。

 「指し手」は、積極的で自分の力を信頼し、自信を持っています。
 「コマ」は、消極的で、自分には力がないと考え、被害者意識を持っている人が多いようです。

 成功する人と失敗を繰り返す人。
 運がいい人と悪い人。
 毎日が充実している人と不満だらけの人……

 その違いは、自分を「指し手」と思っているか、「コマ」と思っているかの違いのようですね。
 

 あなたの人生は、あなたが主役なのです。
 せっかく人生というゲームを楽しむために生まれてきたのですから、「コマ」
 よりは「指し手」として生きて行きたいですよね。



----------------------------------------------------------------------

 「ある人に合う靴も、別の人には窮屈である。
  あらゆるケースに適用する人生の秘訣などない」


                               -- ユング --

----------------------------------------------------------------------


 昔、ある国の王さまの元へ、旅の商人から、一匹の金魚が献上されました。

 王さまは、こんなに美しい生き物ははじめて見たので、たいそうおよろこびになられて、
商人にたくさんの褒美を取らせたそうでした。
 そして、ガラスでできた小さな水槽に金魚を入れ、
近くに置かれていつまでもあきずに眺めておられました。

 そんなある朝のこと、王さまがいつものように金魚のところへ行ってみると、
 金魚は水面に浮いて、口をパクパクしています。
 なにやら、とても苦しそうにしているのです。

 王さまは、あわてて国中の有名な学者や医者をお呼びになり、
金魚の手当をするように命じられました。

 ところが集められた学者や医者は、頭を抱えてしまいました。
 何しろ、この国には、いままで金魚など一匹もいなかったのです。
 どうすれば金魚が元気になるかなど、誰にも分からなかったのです。

 ある医者は、こんな提案をしました。
 「金魚とて、生き物じゃ。いい薬をやれば、きっと元気になるじゃろう」

 そこで、国中から貴重な薬草や高価な薬が集められ、それらがさらに調合されたものが、
惜しみなく水槽の中に入れられました。
 しかし、金魚は元気になるどころか、ますます苦しそうに口をパクパクするだけでした。

 またある学者は、こう言いました。
 「どんな弱っている者でも、美しい宝石や財宝に囲まれれば、
かならず元気を取りもどすだろう。きっと金魚も同じに違いない」

 今度は、国中の宝石や貴金属がたくさん集められ、水槽のまわりに並べられました。
 もちろん、金魚は、そんなものには目もくれず、あいかわらず弱ったままです。

 困り果てた学者たちの中には、とうとうこんなことを言い出す者も現れました。

 「大きな家に、輝く名誉。それを手にしてよい気分にならぬ者はいない!」

 金魚のために、大急ぎで立派な宮殿が建てられました。
 金魚は大臣に命じられ、王さまより勲章を賜れることとなりました。
 
 そして、金魚が水槽から出され、大臣の椅子に乗せられた時です。
 金魚を献上した商人が、たまたま通りかかり、あわてて金魚を水槽の中に戻しました。
 「何ということをしているのです。これでは、金魚は死んでしまいますよ」
 
 商人は、水槽の水をきれいに換えてやり、水草を入れたり金魚のよろこぶ食べものを与えました。
 すると金魚は、たちまち元気を取り戻し、うれしそうに泳ぎはじめたのです。
 
 ポカンとしている学者や医者たちに向かって、商人はこう言いました。

 「そうですよ。金魚のためには、名誉も財宝もいりません。ただ金魚がよろこぶことをしてあげればいいのです」
 

 そう……
 あなたのこころとからだが、本当によろこぶことは何ですか?
 そして、あなたのために、それをちゃんとやってあげていますか?


----------------------------------------------------------------------

 「やってみなわからしまへんで、やってみなはれ」
 

                              -- 鳥井信治郎 --

----------------------------------------------------------------------


 本屋さんへ行くと、「健康法」の本が目立つところに山のように積んであるのをよく目にします。
 そしてまた、それがよく売れているようです。

 それだけ、自分の健康に不安を持っている人が多いということでしょうね。

 でも、ひょっとして……
 世の中の人が、もっと自分の身体を感じることができるようになれば、
「健康法」の本なんて必要がなくなってしまうかも知れませんよ。
 
 たとえば、自分の身体が本当に欲しがっているものだけを選んで食べ、
動きたいように身体を動かし、嫌なことはせずに身体が心地よく感じることを楽しむ。
 そんな生活を続けていれば、きっと病気なんてなくなってしまうのではないでしょうか。
 
 健康の秘訣は、このようにシンプルなもののようですね。

 
 また、本屋さんには、「成功法」や「願望達成法」の本も1つのコーナーができるくらいに並んでいますよね。
 これもやはり、うまくいかなくて苦しんでいる人が多いのでしょうか。

 でも本当は、成功の秘訣だって、健康と同じようにシンプルなもののようです。

 それは……
 「本当に自分がワクワクすることを、楽しんでやり続ける」

 たった、これだけのようです。
 そうすると、天が私たちに味方をして、いつの間にか成功を手に入れることができるようです。

 ねっ、とても簡単でしょう。

 ……でも、これがなかなか言うほど簡単にはいかないんですよね。

 だって、ワクワクすることをするためには、今の生き方を変えたり、
自分を守るために身につけた処世術や価値観を捨て去ったり……
 そんな「ちょっとした勇気」が必要になってくるのです。

 その「ちょっとした勇気」が持てなくて、私たちはせっかくのチャンスを逃したり、
自分のしたくもないことをやり続けたり……

 う〜ん。
 神さまは、何で私たちに、その「ちょっとした勇気」がなかなか持てないようにしているのでしょうか?
 それさえ持てれば、みんなもっと簡単に、楽に成功できるのに……

 「ちょっとした勇気」が持てないために私たちは、苦しんで、もがいて、がんばって、うまくいかなくて落ち込んで……
 そんなことをたくさん経験して、はじめて、自分がしたいことに打ち込むことが
成功につながるのだということに気づいたりするのです。

 あっ、でも……
 そっちのほうが、成功すること自体よりも意味があったりして……

 なるほど!!
 
 さあ、この気づきをどう活かしていきましょうか。
 もう「ちょっとした勇気」を持つことに、抵抗はないですよね。


----------------------------------------------------------------------



----------------------------------------------------------------------


 「世の中には鮮やかな色がたくさんあるのに、
何でも黒白で決めるなんて恥ずかしいことだ」


                      --  デニス・R・リトル --

----------------------------------------------------------------------


 仕事でも、芸術でも、スポーツでも、何かをやり続けて、一定のレベルまで
 熟達した人のことをプロといいます。

 プロはもちろんプロフェッショナルの略で、日本語に直すと「くろうと」となり、「玄人」と書きますね。
 辞書で調べてみると、この玄人の玄は、「黒」色という意味があるようです。

 そこから玄人の意味を、私流に解釈してみると……
 「黒いものは黒だとはっきり言い切れる自信を持っている人」ということになるのではないでしょうか。
 
 つまり、その道においては、自分なりの基準を確立していて、それによって
 いろいろ的確に判断し、行動できる「こだわり」がある人です。

 さすがプロともなると、どんな状況においても一定の結果を残すように要求
 されるわけですから、自分なりの「こだわり」が大事になってくるのでしょうね。


 逆に、まだ始めたばかりの人のことをアマチュアと呼びます。

 これも和訳してみると「しろうと」で「素人」と書きます。

 この「素」は何色にも染まっていない、ありのままの状態を意味するようです。
 いろいろな可能性を秘めてはいるが、まだまだこれからで、発展途上にある人のことですね。

 当然、あまり「こだわり」もまだ持っていないことでしょう……

 そして、この「素」は、「素直」の「素」でもあります。

 プロという厳しい世界の中で、多くのプロ(玄人)が、一定の結果を維持するのに
必死でがんばっているのに、何となく楽しみながら、
並のプロを遙かにしのぐような結果を残している人たちが希にいます。

 スポーツ界で言えば、オリックスのイチローとか、ゴルフのタイガーウッズとか……
 いわゆるスーパースターと呼ばれるような人たちです。

 もちろん彼らは、人並み以上の努力をしているのでしょうが、
共通して言えるのはとても「素直」だということです。

 彼らは、自分なりの「こだわり」を持ちながらも、それに「こだわる」こと
 なくいろんな人の意見やアドバイスをとても「素直」に聞き入れるそうです。
 だからカベにぶつかっても立ち直るのも早いようですね。

 「こだわり」を持つことは、ある意味いいことではあるのでしょうが……

 どうもあまり自分なりの「こだわり」に「こだわり」過ぎてしまうと、
もう一歩大きく成長できる機会を逃してしまうのではないでしょうか。

 「初心忘れるべからず」とはよく言ったもので、いつまでも「素人」のまま
 でいるのも何ですが、「素直」さは無くさないようにしたいものですね。


 あなたも私も、もう長い間生きて来て、人生においては「玄人」なのかも知れませんが……

 素直になって、「こだわり」というサングラスを外してみれば、
もっといろんな鮮やかな色が見えてくるかも知れませんね。



----------------------------------------------------------------------


 「心のなかに限界を設けない限り、人生に限界なんか存在しない」

                        -- ナポレオン・ヒル --

----------------------------------------------------------------------


 両足をやや開いて立ちます。
 両腕をまっすぐ前に上げ、床に平行にして、そのまま身体を左にひねってい
 きます。

 そして、もうこれ以上は回らないというところまできたら、指先がどのあた
 りまできているかを確認しておきます。
 家具や壁の模様などを目印にしておくとわかりやすいでしょう。

 身体を元に戻して、今度は目を閉じて心の中で今実際にやったことを想像し
 てみます。
 その時、実際にやった以上のところまで、身体が回っているようにイメージ
 します。

 それが終わったら、目をあけて、もう一度実際にからだをひねってみます。

 結果はどうでしょう。

 たぶん、ほとんどの人が、1回目の時よりも指先は先の方まで進んでいるの
 ではないでしょうか。

 ……心の中で、限界を打ち壊してみると現実も変化するようです。

 あなたのしたいことや、目標に関してもそうです。
 心の中で、今までよりもっとうまくいっている、成功しているイメージを思
 い描くと実際に変化が現れてくるでしょう。

 どうせなら、もっと自由になって、人生を楽しんでみましょうね。



----------------------------------------------------------------------


 「精神的健全さとは、愛する能力、働く能力、遊ぶ能力、
そして、心を充分に使う能力のことだ」


            -- アシュレー・モンターギュ(米国の女性史家)--

----------------------------------------------------------------------


 何かが自分の思い通りにならないとき、すごく疲れたりすることはありませんか?

 特に、周りの人が分かってくれなかったり、思い通りに動いてくれないときなんかは……

 これは、自分が周りをコントロールしようとして、エネルギーを沢山使ってしまうためですね。
 エネルギーの消費量の割には、あまり効果がないどころか、
コントロールしようとすればするほど、周りの人は反発して逆らってくるようです。

 そして、さらにエネルギーが消費されることになります。

 逆にあなたの周りの人が、我が道を行きたいと思っているとします。
 あなたの気持ちに逆らって、コントロールしようとしてくると、
それに対抗するためにも大きなエネルギーを消費してしまいます。

 お互いが莫大なエネルギーを費やすことになってしまいますね。

 いちばん賢明なのは、コントロールしたり、コントロールされたりする
ゲームから降りてみることではないでしょうか。

 他の人がコントロールのためにエネルギーを使っている間に、
自分のエネルギーを溜めて置いてみてください。

 そうすると、本当に必要な人のためや、必要な場合だけにそのエネルギーを使うことができます。

 そのエネルギーとは心のエネルギーでもあります。
 そしてそうすると、すべてをコントロールしているのは、自分自身になりますよね。


----------------------------------------------------------------------


----------------------------------------------------------------------


 
「私が何をしようと、私の値打ち(価値、魅力)は、毎瞬毎瞬増えていく」

                        -- ハリッシュ --

----------------------------------------------------------------------
 
 どんなことをしようと、それはあなたの財産になります。
 やってみたいことがあれば、どんどんやってみましょう。
 
 結果?
 そんなこと気にしなくてもいいんじゃないでしょうか。

 犯人の分かっている推理小説なんてつまらない。
 どうなるか分からないから、推理小説も、映画も人生も楽しいのです。
 
 うまくいかなかったというエンディングがあれば、それを楽しんで、
次のチャレンジへの貴重な体験として活かしてみましょう。
 
 どうしょうかと悩んだときの、私の判断基準は、単に「楽しそう!!」と思えるかどうかです。

 以前は、うまくいかなかったらどうしようとみすみすチャンスを失い、
あとで後悔することが多かったですが、今は違います。
 
 何でもやってみて、うまくいってもいかなくても、結果を楽しめるようになりました。
 といっても、私が行動派人間になった訳ではありません。
 あいかわらず家でボーとしているのも大好きです。
 
 前は、そんな何もしていない時間を無駄にしてしまったと思っていたのです
 が、最近はボーとしている時間を心から楽しめるようになりました。
 
 だって、何かをしてしまったらその時間は、何もしなかったということを経験出来なくなってしまうでしょ。



----------------------------------------------------------------------


 「失敗は落胆の原因ではなく、新鮮な刺激である」


              -- サン・シモン(フランスの社会主義者)--

----------------------------------------------------------------------

 自転車を、点検してもらうことにしました。
 長年愛用していて、ほとんど毎日乗っている自転車です。
 
 少し前から、ギーギーとおかしな音がしていたのですが、気にせずそのまま 乗り続けていました。

 そのうち、タイヤが回るたびに、何かに引っかかるような感じがでてきたのです。

 それでも、オイルを注したり、錆止めスプレーをかけたりして、何とか走らせていたところ、
とうとうガリガリと大きな音がしだして、イヤな感触も感じられるようになってしまいました。

 無理すれば、まだ大丈夫という気もしましたが、とりあえず近所の自転車屋さんへ持っていくことにしたのです。

 店のお兄さんは、自転車を見るなり、こういいます。

 「あ、これはもうダメですね。前輪を支えるスポークが、かなり折れたり外れたりしている。

  ホイールごと取り替えるしかないでしょう。

  それにしても、このまま乗り続けていたら、スポークがバラバラになって
  前輪が外れていたかも知れませんよ。危ないところでしたね」

 少々異音はしたけれど、さっきまで普通に乗れていた自転車。
 それが、こんなことになっているとは、思ってもいませんでした。

 私は、そんな自転車の状態に気づかず、ほとんど手入れもせずに、毎日酷使していたのです。

 聞いてみると、修理をするのも、新しい自転車を買うのも、値段はそう変わらないということです。
 私にとって、自転車は必需品なので、その場で手頃な自転車を買うことにしました。
 
 お店をを出ようとしたときに、片隅に置かれたままの、私の古い自転車が目に入りました。

 ずっとがんばってきてくれた自転車に、「今までご苦労さん」と心のなかで
 つぶやきながら、ふと、こんなことを思ったのです。

 「これは、私たちの身体も同じではないだろうか……」

 健康で元気なときには、仕事でも何でも、精一杯がんばれます。
 でも、無理をしたり、休みもとらずに走り続けていると、どこかに少し故障が出てくるかも知れません。

 それが、自転車のギーギーという音にあたるのでしょう。

 そのとき、自分の身体の状態に気づいて、適切なケアをするのなら問題はないでしょう。

 でも、私たちは、ついついそんな警告を無視して、さらにがんばり続けてしまいます。

 そんなことが重なれば、自転車がガリガリと音を立てたように、身体が悲鳴をあげてしまうことになるでしょうね。

 過労で倒れたり、身体のどこかに大きな異常を感じたり……

 それでも人によっては、仕事を休めない、のんびりなんてしていられないと、
 さらに無理を続けることもあるようです。

 そうなると大変ですね。
 自転車なら、いつかタイヤが外れて大ケガをすることになってしまいます。
 そして、人間だったら……

 私たちの身体は、自転車を買い換えるように、簡単に新しくすることはできませんよね。

 だから、身体は、いろいろな警告を出して気づかせてくれるのでしょう。
 
 「今のままだと、大変なことになるから、仕事や生活、身体の使い方を見直してね」

 疲れてだるかったり、風邪をひいて熱が出たり、どうしてもやる気が出なかったり。
 そんな信号を出して、教えてくれているようです。

 また、そんな気づきは、さらに私たちの生活を快適にしてくれたり、新しい
 可能性に目覚めさせてくれるのではないでしょうか。

 人生も、同じなのかも知れませんね。

 失敗、悩み、苦境、問題は、私たちに何かを気づかせてくれるメッセージ。

 今までの生き方を変えたり、自分をもっと大きくさせたり、新しい可能性に
 チャレンジするときだということを教えてくれているのでしょう。

 その問題がなければずっと知ることもなかった、「大切なこと」を教えてくれるのです。

 さあ、今、あなたが抱えている問題は、どんな新鮮ですばらしい気づきを与えてくれるのでしょうか。




----------------------------------------------------------------------


 「生きること、夢見ること以上に重要なことがある。
  それは自分本来の姿に目覚めることだ」


             -- マチャド・イ・ルイス(スペインの詩人)--

----------------------------------------------------------------------

 世の中には、何をやってもうまくいく人もいれば、同じような失敗ばかりを繰り返す人もいます。

 また、豊かで幸せに生きている人もいるし、不幸にばかり見舞われる人もいますよね。
 
 あるいは、いつも悩みを抱えている人がいるかと思えば、悩みなどとは無縁で、
毎日を楽しく過ごしている人たちも多いでしょう。

 実にこの世は、不公平なものに思えます。

 ところが、ある見方をすれば、この世界はとても公平で平等なものだということができるのです。
 
 だって、誰もが、自分がどんな人生を送るのか、何を手に入れるのかを、選ぶことができるのですから。

 そうです。
 私たちが、この世に生まれたときに、どんなことでもできる力を与えられたのです。

 重要なのは、この力は、ただ、私たちが選んだことを実現するために働くのですが、
その方向については、ポジティブだとかネガティブだとかの判断は一切しないということです。

 ポジティブな方向に使われれば、豊かで、心身ともに健康で、
円満な人間関係を築くという幸福な生き方を手にすることができます。

 でも、力がネガティブな方向に向いていたとしたら、貧しかったり、
心身に不調和を来たしたりして、不幸な人生を実現することになってしまいます。

 そして、私たちには、この力を、どちらへ向けるかを選ぶ自由があるのです。
 誰でも平等に、どう生きていくかを、決めることができるのです。

 ……というと、
 「そんなことはない。自分で選ぶことができるのなら、誰もネガティブな方になど力を向けないだろう。
だけど、世の中には、貧しかったり不幸な人がいる。やっぱり不公平なんだ」
 という思いを持つ人もいるでしょう。
 
 だけど、もう一度いいます。 
 
 それでも私たちは、自分で自分の人生を決めているし、選んだことを手に入れているのです。

 もちろん、意識的に、ネガティブな生き方を選ぶ人は誰もいません。
 ネガティブな方を選んでいる人の多くは、自分でも気づかないうちに無意識で、そうなっているようです。

 たとえば、『毎朝、1時間早く起きて、軽いジョギングをすれば健康に良い』
 という話を聞き、自分もやってみようと決めたとします。

 ポジティブな選択ですよね。

 でも、翌朝から実際に行動に移せる人がどれだけいるでしょうか。
 何とか数日はがんばって早起きしても、三日坊主で終わってしまう人も多いでしょうね。

 意識では、健康のためにがんばろうと考えているのに、無意識では、「疲れる」
 「もう少し寝ていた方が楽だ」「どうせ長続きはしないんだ」「こんなことやって、
何の意味があるんだ?」などと、いろいろな理由を探しては、
何とかジョギングを回避することを選んでいるのです。

 もちろん力は、その方向へ働くことになります。

 同じように、夢や目標を目指して努力しているのに、
なかなか実現しないという場合も、無意識で、
実現しないことを選んで、そこに力を注いでいるのかも知れません。

 幸せになりたいのに…
 豊かに生きたいのに……
 もっと充実した人間関係を創りたいのに……

 今、それが実現していないとしたら、どこかで実現しないことを選んでいるのでしょう。

 世の中が不公平なのでも、時代や生まれた国が悪いのでも、
お金がないからでも、才能がないからでも、ついていないからでもないのです。

 意識的にであれ、無意識であれ、自分が選んでいるから、それが実現しているだけのことなのです。

 ……と気づいたからには、これからは、できるだけポジティブな選択をするようにしていきましょう。

 なあに、簡単です。

 自分が何を思っているのか、本当は何をしたいのか、
知らないうちに何を選んでいたのかを、感じてみる時間を増やしてみればいいのです。

 自分に気づき、自分をよく知ることこそが、豊かな人生の第一歩なのですね。


----------------------------------------------------------------------

 「自由は、よりよい人間になるためのチャンスにほかならない」

             -- アルベール・カミュ(フランスの小説家)--

----------------------------------------------------------------------

 暑いときには、汗が出ます。

 真夏の炎天下、外回りの仕事をしているとしたら大変ですね。
 汗がダラダラと流れて、あまり気持ちのいいものではないでしょう。

 「暑い、暑い。こんな日に、外で仕事をしなければならないなんて、イヤだなあ」

 と、うんざりしてしまうかも知れません。

 あるいは、この暑さから逃れるためには、どうしたらいいかを考えはじめる人もいるでしょうね。

 サボって、ずっと喫茶店で休んでいようか……
 いっそのこと、こんな仕事を辞めてしまおうか……

 そんな思いが、いつまでも頭を駆け巡ります。
 でも、とてもそんなことはできるはずがない、ということもどこかでわかっているのです。
 
 だから、余計に、苦しくなるのですね。

 そんなふうに、イヤイヤながら、ネガティブな時間を過ごすよりも、もっといいやり方があります。

 それは、今は暑いし、暑いときには汗が出るものだということを、ただ受け容れるということです。
 
 そして、どうせやらなくてはならないことなら、張り切って、その仕事に精を出してみるのです。

 もちろん、仕事の間は、汗だくで大変なことには変わりないでしょうが、
終わってからの充実感や満足感は、まったく違ってくるでしょう。

 汗をかいても、自分ができることをできるだけがんばった後に、
シャワーでも浴びれば、心身ともにスッキリと心地よくなりますよね。


 大事な用事で、外出しなければならないのに、雨が降っています。

 「こんなときに雨が降るなんて、イヤだなあ……」

 そう思えてくるでしょう。
 
 どうすれば外出しないでいいだろうか、何とかこの雨は止まないだろうか、
 などと、思いを巡らせるかも知れません。

 だけど、いくら悩んでも、結局は、外出しなければならないのです。

 だったら、そんなふうにふさぎ込んでいることに時間を使うよりも、
傘をさして、外へ飛び出してはいかがでしょうか。

 見方によっては、傘に当たる雨の音を聞きながらの外出も、なかなかオツなものですよ。

 どうせ、同じ時間を、同じように使うのなら、
イヤなこと、邪魔に思えることに心を捕らわれて苦しむよりも、
いっそ、それは、そんなものなのだと受けとめてみる方が、ずっといいでしょう。

 どんな状況でも、そのときに自分ができることに、精一杯取り組んでみれば、
 自分のなかでは、意義のある時を過ごせるはずですね。


 何か、あなたの心を暗くする障害があるのですか。

 会社へ行けばイヤな上司、あまり好きでない仕事。
 人間関係での悩みや、家庭での問題。

 「イヤだ」
 「ここから逃げ出したい」
 「何とかならないものだろうか……」

 そう思い悩んで、落ち込んでしまうのも仕方がないでしょうね。

 どうしようもないことを、何とかしようとするから、苦しくなってしまうのです。

 ここでちょっと意識を変えてみましょう。
 そんなことに悩まされるよりも、目の前にある障害は、
自分を大きく成長させてくれるチャンスだと捉えてみるのです。

 障害をただ受け容れ、自分ができることに最善を尽くしてみます。
 すると、同じことをやったとしても、気分はどう違ってくるでしょうか。


 何かを受け容れたとき、私たちは、捕らわれていたものから解放され、自由になるということのようです。

 捕らわれていたものが大きければ大きいほど、悩まされていれば悩まされていたほど、
私たちが学ぶことも多く、よりよく成長できるということですよね。

 私たちは、今よりもっと大きくなることができるし、どんな人間になるかを選ぶ自由を、いつでも持っている。

 障害や問題があるのは、本当は、それに気づかせてくれるためなのかも知れ ませんね。


----------------------------------------------------------------------

 「多く笑う者は幸福にして、多く泣くものは不幸である」


              -- ショーペンハウアー(ドイツの哲学者)--


----------------------------------------------------------------------

 車で取引先に向かう途中、交通渋滞に巻き込まれてしまいました。
 あまり時間もないのに、まったく前に進まないのです。
 
 「大事な商談があるのに……」
 気持ちがあせって、時計ばかりに目が行きます。

 こんなときには、イライラしてきて、「何で、渋滞なんかするんだ!」、
 「こんなにたくさんの車なんて、走らなければいいのに!」と、まわりに向かって腹をたてることもできます。

 あるいは、「自分は、いつもツイてない」、「結局は、うまくいかない運命なんだ」などと、
自分の不運を嘆き続けることも可能ですし、渋滞があることを考えていなかった自分を
責めて落ち込むという選択もありますね。
 
 または、「どうして、もっと早く出発しなかったんだろう……」と、過ぎ去った時を悔やんだり、
「きっと遅刻してしまって、この商談はダメになるだろうな」と先のことに、心を砕くことだって可能です。

 そして、私たちは、渋滞で車のなかにいる時間を、こんなふうに受け取ることだってできるのです。

 「これは、いつも忙しい自分に与えられた特別な時間なんだ。リラックスして、
今の自分を感じたり、楽しいことを考えたりしてみようか…… 
  よし、この時間を大切にしよう」

 渋滞で車のなかにいる時間。

 どうやって過ごすかは、私たちの自由ですし、どうやって過ごしてもまった
 く同じだけ時間が過ぎていきます。

 イライラしたり、怒ったり、嘆いたり、悔やんだり、心配したからといって、
 少しでも渋滞が緩和することもないでしょう。

 だったら、少しでも豊かな時間を過ごすことに意識を向けてみてはいかがでしょうか。

 そんなことを選ぶ自由も、私たちにはあるのですよね。


 私たちは、辛いことや、苦しいことがあるから、不幸になるのではないようです。
 
 自分を不幸だと思っている時間が長ければ長いほど、不幸になってしまうということなのですね。
 
 逆に言うと、自分を幸せだと思っている時間が長いほど、笑って楽しく過ごすことが多いほど、
幸せを感じることができるのではないでしょうか。

 たとえ、どんな境遇にいようと、大きな苦悩を抱えていようと、この法則は
 同じことなのですね。

 そう、『笑っている時間が長いほど幸せになる』のです。

 大切なあなたの人生の時間。

 どんなふうに過ごしても自由ですし、いつもいつも楽しい気分ではいられないかも知れません。

 でも、この法則を思い出したときには、ちょっと一息ついて、笑顔をつくってみるようにしてみましょう。

 そして、幸せな時間を、少しずつ広げていきましょうよ。


----------------------------------------------------------------------

 「楽しさを求めよう。人生は一度しかないのだ」

           -- ホラーティウス・フラックス(ローマの詩人)--

----------------------------------------------------------------------

 部屋のなかに、積み木や人形を、間隔を開けてランダムに10個ほど並べます。

 目隠しをしたまま、なるべく積み木や人形を倒さないように、
その部屋の端からもう一方の端まで歩いていきます。
 
 コツは、目隠しをする前に、ゴールの位置と、
どこに障害物があるかを頭に強くイメージしておくこと。

 さあ、やってみてください!

 ただの遊びのように見えますが、実は、ここからいろいろなことを学べます。

 たとえば、「きっと、うまくいかないよ」と思っても、「絶対にうまくできる」と思っても、どちらも正しいのです。

 やってみるとわかるでしょうが、まったく障害物に当たらないでゴールするのは、
けっこう難しくて、たいてい1つ2つは、倒してしまいます。

 「きっと、うまくいかないよ」と思って歩いていたとしたら、やっぱり積み木を倒してしまった……、
などと残念な気がするでしょうね。

 ところが、「絶対にうまくできる」と考えながら歩いていったのなら、
少しはミスしたとしても、全部を倒したわけではなくてゴールできたのだから、うまくいったと思えます。

 遊びの結果は同じだったとしても、自分が信じていることが実現したということになりますね。

 ……まあ、異論がある人もいらっしゃるかも知れませんが、難しく考えないでください。

 この遊びは、そんなものなのです。

 さらに、この遊び、他にも多くのことを教えてくれていますよ。

 バカバカしいとか、つまらないと思いながらやってみたとしたら、そのとおり、
バカバカしい気持ちやつまらないなと思えてくるでしょう。

 やっても仕方がない、どうせ大したことはない、と思ってやらないとしたら、
 やっても仕方がなくて、大したことはないという思いが得られます。
 
 つまり、何も起こりません。
 
 完璧にしなくてはならないと思うと、全身に力が入って窮屈さを感じます。
 また、自分に自信がないと、不安で一歩も進めません。

 今していることの意味を求めると、虚しくなってきますし、あれこれ考えすぎると、迷ってしまうでしょう。

 他にもたくさんありますが、これくらいにしておきますね。

 もう気づかれましたか?
 実は、これらは、この遊びだけではなくて、すべてが人生についても言えることなのです。

 もう一度、前に戻って、遊びを人生に置き換えて読んでみてください。
 きっと面白い発見があるはずですよ。
 

 これほど、いろいろ気づきが得られる遊びです。
 ぜひ、やってみてください。

 ……あ、でも、過大な期待はしない方が無難ですよ。

 求めるものが大きすぎると、往々にして、失望することもあるもの。
 これも、人生と同じですね。

 一番いいのは、遊びにしろ、生きることにせよ、仕事にせよ、
結果を気にしたり深刻に考えたりせずに、ただ楽しむということ。

 何をやっていても、楽しんでいるときが、最も元気がでてきます。

 そして、それ以外のときは、いくらがんばっていても、
物事に真面目に取り組んでいても、どこかで自分の本質を生きることを抑えているもののようです。

 「今」を最高の瞬間にするために、充実した人生を生きるために……

 さあ、もっと楽しんでください!


----------------------------------------------------------------------

 「人間は、人生を理解するために創られたのではない。
  人生を生きるために創られたのである」

            -- ジョージ・サンタヤナ(アメリカの哲学者)--


----------------------------------------------------------------------

 中学や高校の数学。

 学年が進めば進むほど、方程式や関数、微分積分など、
いろいろな新しい概念が出てきて、解ける問題が増えていきます。

 それまでは回答不可能だった問題でも、見事に答えが導きだせるのです。

 ……でも、入学した当初は、簡単な数式の計算ばかり。
 何度も同じような計算をさせられて、だんだん飽きてきます。

 ちょっと前向きな人は、教科書の先の方の問題を見て、早くあんな計算をしたいなと思ったりします。

 自分がまだ知らない高度な問題は、とてもカッコよく見えたりするものです。 
 (数学が苦手だった人は、理科や体育など、自分の好きな科目を思い出してみてくださいね)

 そこで、ある人たちは、目の前にある簡単な計算は、
もうたくさんとばかりに、教科書の次の項目をやってみたりします。

 興味深々で、一生懸命に取り組んでみて、何とか未知の問題を解くことができたとしたら、
もうバカバカしくなって、前の練習問題なんかやる気も起こらないかも知れませんね。

 そこでその人は、次の一歩進んだ問題にチャレンジします。
 それも何とかクリアできることもあるでしょう。
 
 それでも、いつかはとても手に負えないところに出会うはずです。
 だって、それを理解するのに必要な、基礎をきっちりやらなかったのですか
 ら。

 そんなふうに、一旦自信をなくしてしまえば、前には簡単にできていた問題も、うまく答えられなくなってしまいます。
 自分はもう数学はダメだと思う人だって、でてきたりするのではないでしょうか。

 そんなときの一番の解決法は、今までを振り返って、どこで自分が躓いたのかを見てみることのようです。
 必ず、どこかで、自分が本当に理解できていなかったり、完全にマスターできないまま、
次に進んでいった段階があるはずです。

 これはもちろん、勝手に先に進まなくて、授業についていっただけの場合も同じことです。
 
 今の問題が手に負えないのなら、やっぱり、どこかでクリアできていなかった部分があったのでしょう。

 それがわかれば、ただその問題に取り組んでみましょう。

 案外、簡単な計算を何回も解くことが、結局は、もっと先の複雑な問題を解決するのに
役立つ基礎をマスターさせてくれることも多いようですよ。

 もう充分知っているはずだとバカにしていたことを、
何度もやってみることが思わぬ気づきを与えてくれたりするものです。

 そこまですれば、完全にその教科はマスターできるでしょう。

 ひょっとしたら、これは人生の問題だって同じことなのではないでしょうか。
 今、直面している問題は、過去のどこかでマスターできていなかったことがあったということも考えられますよね。
 
 ひとつ違うのは、よっぽど良い先生にでも出会わない限り、なかなか過去を振り返ったり、
前の問題に何度も取り組むなんかは、自分ひとりではできないものですよね。

 その点、人生の場合は、ある意味でとても親切ですよ。

 この宇宙は、あなたが、完全にその段階をマスターするまで、
何度でも、同じような問題を与えてくれるのですから。

 苦しむことは、もっともっと良く生きるためにあるのかも知れませんね。


----------------------------------------------------------------------

 「問題の見方こそが問題なのである」

       -- スティーブン・コヴィー(アメリカのコンサルタント)--


----------------------------------------------------------------------

 道を歩いていたら、突然、石につまずいて転びそうになってしまいました。
 
 そんなときは、あわてて、手を振り回したり、身体をくねらせたりして、身体のバランスを取ろうとします。

 ヒヤリとする一瞬です。

 それで、うまくいけば何とか体勢を立て直すことができますし、そうでなければ
みっともなく転んでしまって、どこかを擦りむくこともあるでしょう。

 道を歩いていれば、そんなこともありますね。

 転ばなければラッキーですし、転んでケガをしたら、そのケガを治療しまして、
また道を歩いていけばいいだけのことです。

 決して、石につまずいた自分を責める必要はありません。

 運よく転ばなくても、「もし、転んでいたらどうしよう……」と、
起きてもいない出来事を恐れて、立ち止まることもないのです。

 転んでしまったら、そんな自分を情けなく思ったり、ケガをしたからもう歩けないと信じ込んだり、
歩き出しても、またいつかは転んでしまうと悲観して落ち込むのもバカげています。

 道を歩いていれば、石ころにつまづくこともあるし、転んでケガをすることもある。

 つまりは、ただ、それだけのことなのですよね。


 ……私たちを苦しめる、人生の問題だって同じこと。

 生きていれば、何かにつまづいてしまうこともあるでしょう。
 何とかバランスを取ろうとがんばって、大変な思いもしてしまいます。

 がんばって乗り切ることもありますし、痛い思いをすることになるかも知れません。

 でも、それは、それだけのこと。
 自分を責めたり、過去を悔やんだり、未来を恐れたりすることはないのです。

 その経験から必要なことを学べば、気を取り直して、また元気に歩きはじめましょうよ。

 
 あるいは、問題は、お天気のようなもの。

 いつもいつも晴れ上がった、いいお天気とは限りません。
 ときには、大雨が降ったり、嵐になることもありますね。

 だけど、雨が降るから地は潤いますし、
嵐も、もっと大きなバランスを取るのに必要だから起こるのでしょう。

 雨に降られることは、少々、鬱陶しいように感じますが、
たまにはそんな天気もいいものです。

 ときどき雨が降るのは、当たり前。
 人生でも、ときには問題に出会って当たり前。


 また、階段の踊り場のようなものが問題だと考えることもできます。

 高いビルに上るのに、ずっと一直線の階段が続いているということはありません。

 途中に、いくつも踊り場があるものですね。

 踊り場は、上に向かって上がるところではありません。
 でも、階段には、必要なスペースなのです。

 高く上ろうとすればするほど、踊り場の数も増えてくるのです。

 それと同じように、私たちが高いところを目指そうとすれば、それだけ問題に出会うことも多くなるのですね。

 ひょっとしたら、問題は、私たちにとって必要だから現れるのかも知れません。 
 私たちの成長を助けてくれるものなのですね。

 本当は、問題が問題なのではないようです。
 私たちが、それをどう受け取るか、どう立ち向かっていくかが、問題なのでしょうね。


----------------------------------------------------------------------

 「人は望むだけ自由になれる」


          -- ジェームズ・ボールドウィン(アメリカの作家)--

----------------------------------------------------------------------

 おなかを空かせたネズミの前に、何本かの通路を用意します。
 通路の1本だけには、出口にエサが置いてあります。

 ネズミは、エサの匂いにつられて、通路に入ったり出たりしますが、
やがてエサがある通路に行き着きます。

 同じ場所にエサを置いて、何度か同じことを続けると、
ネズミは、もう迷うことなくエサがある通路に入っていくようになります。

 次に、エサを別の通路の先に置きかえてみます。
 
 ネズミは、すぐに、前にエサがあった通路に入りますが、もちろん、そこにはエサはありません。

 ネズミはしばらく、その通路を行ったり来たりして、エサを探そうとしています。
 でもいつかは、見切りをつけて、その通路を出て行きます。

 そして、他の通路に入り、またエサを見つけだしますし、
今度は、その通路をエサのあるところだと記憶するようになるのです。

 ネズミの行動は、とても単純なように思えますね。

 でも、人間だって、ある意味では、そんなネズミより高級とは言えないようですよ。

 なぜなら、エサがないとわかれば、ネズミは、すぐに次の通路を探すために
 行動しますが、ときに人間は、ずっと同じ通路に立ち止まっていることがあるからです。

 「前には、置いてあったんだから、またいつかは出てくるだろう」

 「他のところを探したって見つかるかどうかはわからない。
だったら、このまま動かずに待っていようじゃないか」

 「知らない通路を通るのは恐ろしい。ここにいれば、いつかはいいことがあるさ」

 そんな考えが頭に浮かんできて、いつまでたっても、別のところへ行こうと
 いう気が起こらないもののようです。

 だから、その人は、ずっとそこにいるのです。
 きっとそれが、いちばん楽なことなのでしょう。

 ネズミが、そんな人を見たら、不思議に思うでしょうね。
 エサがほしいのなら、さっさと他の通路へ行けばいいのに、
何かに縛り付けられているように動かないのです。

 さらに、その人を縛り付けているのは、どんな障害物でもなくて、
心のなかにある足枷なのだということを
ネズミが知ったら、もっと驚いてしまうでしょうね。


 「やりたいけれど、できない」
 「絶対に叶えたい夢があるのだけど、自分には無理だとあきらめている」

 そんなことを思っている人は、ネズミを見習ってみる必要があるかも知れませんよ。

 まず、どうして「できない」と思っているのかを考えてみましょう。

 「〜という障害があるから」
 「〜が不足しているから」
 「もっと〜になってからでないと無理だ」

 もちろん、いろいろな理由があるのでしょう。

 だけど、本当は、そんな『思い』という足枷が、
あなたを、そこへ縛り付けているのではないでしょうか。

 ……ね。
 そう思って、よく見てみれば、どこにも障害物なんかないでしょう。

 
 一本道を塞いでる、大きな岩。

 岩だけを見ていれば、それは行く手を塞ぐ、大変な障害物。
 もう前には進めません。

 でも、まわりを見回せば、遠回りでも、岩を避けていくスペースがあることに気づくでしょう。

 それに、ほかにも道はいくらでもあるのですよ。


 あなたは、どこへだって行くことができるし、好きなことができる。
 そんな自由が、ずっと目の前にあったのです。
 
 あとは、自分が楽しもうと決めるだけですよね。



-
---------------------------------------------------------------------


----------------------------------------------------------------------

 「笑って暮らすも一生、泣いて暮らすも一生」

                         -- ドイツの格言 -
-

----------------------------------------------------------------------

  何をあげても、文句ばかり言う。
  いくら優しく接しても、嘆いてばかり。
  どんなことをしてあげても、感謝どころか不平不満が返ってくる。

 もし、あなたに、そんな友人がいたとしたら、たとえどんなに良い人だとしても、
いつかは何もあげたいとは思わなくなるし、助けてあげる気もなくなってきますよね。

 逆に、いつも笑顔で話してくれたり、ちょっとした贈り物でも喜んで、
ありがとうと言ってくれるような友人ならどうでしょうか。
 
 きっと、その人のためなら、いくらでもお手伝いしてあげたいし、何でもあげたくなってくるでしょう。

 そう……
 いつもあなたの側にいる人だって、同じことを思っているはずですよ。


 哲学者のカントは、生まれつき、とても身体が弱く、長くは生きられないだろうと、言われていたそうです。

 胸が異常に薄く、うまく呼吸ができないため、いつも「苦しい、苦しい」と、
 口ぐせのように言い続けていました。

 しかも、カントの家は貧しく、医者にかかることもできません。

 愛する母親を、早くして亡くしてからは、ますます自分の身の不幸を嘆く毎日です。

 『ああ、苦しい』
 『どうして、私だけがこんな目に遭わなければならないんだ……』

 17歳のとき、何とか医者に診てもらうことができましたが、そこでカントは、こんなことを言われます。
 
 「君の病気は、今の医学ではどうすることもできない。
  これからも身体は、良くなっていくことは難しいだろう。

  もちろん、君も苦しいだろうが、苦しんでいる君を見ているお父さんは、
  もっと苦しいのではないかな。

  幸いなことに、君は、とても強い心を持っている。

  そんな強い心を与えられたことを喜んでみてはどうだろう。

  これからは、まわりの人たちに悲しい思いをさせないために、『苦しい』 などとは言わずに、
感謝の気持ちを持って生きてみないか」

 カントは、医者のことばで、今まで、まったく感謝や喜びを感じていなかった自分に気づきました。
 
 父親は、貧しいながらも、精一杯の愛情を注いでくれています。
 また、近所の人たちや学校の仲間だって、病弱な自分を助けてくれていたのです。

 それなのに、自分は、いつも「苦しい、苦しい」と嘆いてばかりだったのです。

 カントは、深く反省して、もう二度と「苦しい」とか「辛い」とは、口にしないでおこうと決めました。
 そして、できるだけ、心を明るく持ち、前向きのことばを話すようにし、
いつも喜びと感謝の気持ちを持とうと努力していったのです。

 すると、気持ちが楽になったばかりではなく、いつしか身体の不調を感じることも少なくなってきたのです。

 強い心を与えられたことに感謝し、これを社会に活かすために、人一倍、勉学に励みました。

 そして、哲学者として、世界中に影響を与える大きな仕事を成し遂げたことは、ご存じの通りです。
 
 カントは、当時としてもかなり長命にあたる、80歳まで生きることになります。


 喜びや感謝の気持ちを持っていると、まわりにいる人は、あなたをサポートしやすくなるようです。

 いつも、あなたの側にいる人。
 家族や友人も、もちろんそうですが、あなたのまわりのこの世界だってそうですよね。

 笑って暮らすも一生、泣いて暮らすも一生。

 いつも幸福でいる秘訣は、きっとこれなのでしょうね。


----------------------------------------------------------------------

 「明日よいことがあると思ってごらん。今幸せになるよ」

                       -- 斎藤一人(実業家)--

----------------------------------------------------------------------

 雨の日は、ちょっと憂鬱な気分になるときもあります。

 外へ出ることができませんし、仕事で外出しなければならないとしたら鬱陶しいですね。

 もし、毎日毎日、ずっと雨が降り続くとしたら、これは大変なことです。

 ……かといって、晴天ばかりでも困ります。
 木や花は育ちませんし、飲み水も枯れてしまうでしょう。

 そう考えると、雨は、天から恵みだと受け取れますね。

 晴れた日には、外へ出て太陽の日を浴びたり、走り回ったり、晴れた日の楽しみがあります。
 そして、雨の日には、本を読んだり、静かに考え事をしたり、雨の日なりに楽しめることもあるでしょう。

 もちろん、晴れた日に本を読んでも、雨の日に走り回っても構いません。
 気持ちの持ち方によっては、毎日が良い天気になるものですね。

 人生だって、同じこと。

 いいことばかりが起こる、晴天続きのときもあれば、イヤなこと苦しいことという雨が降る日もあるでしょう。

 でも、いろいろなことが起こるから、多くのことを学ぶことができるし、さまざまな楽しみもあるのです。

 晴れの日を楽しむ。
 雨の日も楽しむ。

 どんなときだって、今日は、私にとって最高の日なのですよね。


 スーパーへ行けば、一年中、新鮮な野菜や果物が並んでいます。
 
 夏にできるトマトでも、ビニールハウスのなかで、温度や養分をコントロールされて、冬に実ができるのです。
 それも、自然に実をつけるよりも、もっと短時間に、そして、きれいな形に作られています。

 もしも、私たちが、そんな人工的な促成栽培のトマトしか食べたことがないとしたら、
きっと、そのトマトは満足を与えてくれるでしょう。

 私たちにとって、トマトとは、そんなものなのですから。

 でも、一度でも、大自然の豊かな環境で、長い時間をかけて太陽の光を充分に受けたトマトを食べたことがあるとしたら、人工栽培のトマトでは、一時的な満足を得られても、本当には満たされないことに気づくでしょう。

 だって、本物のトマトの味を知っているのですからね。

 ……あなたの夢は何ですか?
 今、目標としていることは何でしょう?

 毎日、そこへ向かって、ワクワクしながら進んでいるでしょうか?

 夢に向かって進む道では、ときに不安や迷いを感じることもあるし、うまくいかなくて落ち込むこともあるでしょう。
 
 それでも、本当に心がそれを望んでいるのなら、いつかは必ず夢を叶えることができるということです。

 どんなことがあっても、そこに向かっているときこそが、本当に心が満たされているときなのですから、
いつもそこへ帰っていくところです。

 人から与えられた目標
 見栄や体裁で決めた夢

 そんな促成栽培の目標や夢を持っているとしたら、
いつかは、心が満たされない気持ちがわき上がってくるかも知れません。

 だって、あなたは、本当の自分の味を知っているのですから。

 長い間、一緒にいて、自分にとって何をしているときが一番輝くのかがわかっているはずでしょう。

 さあ、前に目を向けましょう。
 あなたの心が、疼いているのなら大丈夫。

 障害や失敗は、あなたを大きく逞しく育てるために、大自然が与えてくれた恵みです。

 毎日が、豊かな栄養を与えてくれる日。

 少々形は悪くても、時間はかかっても、必ず最高にすばらしいトマトができあがるのですよ。


----------------------------------------------------------------------

 「いままでと同じことをずっとしていたら、
  いままでと同じものをずっと受けとりつづけるだけだ」


             -- カレン・サンマンソン(アメリカの作家)--

----------------------------------------------------------------------

 目覚まし時計の音で、あなたは、夢の世界から現実へと引き戻されます。
 
 眠い目をこすりながら、布団から身体を起こし、時計に手を伸ばして音を止めました。

 その時計が、毎日、あなたが起床する時間を指しているのを確認すると、
いつもと同じように、顔を洗うために洗面所へ向かいます。

 『昨夜、遅くまで起きていたので、まだ眠いなあ』
 そんなことをぼんやりと思いながら、あなたは朝食を摂ったり、服を着替えたりと、毎朝の行事を行います。
 
 そうこうしているうちに、家を出る時間になり、今日も、いつもと同じ道を通って駅へ向かっています。

 電車へ乗る位置は、毎日、だいたい同じ。
 前から2両目の一番後ろのドア。

 そして、いつも通りの時刻に目的駅に到着し、また同じ道を歩きます。

 駅から会社へは、歩いてすぐ。
 あなたは、上司や同僚に挨拶しながら、自分の係りがある部屋に向かいます。

 これも、毎日、繰り返していること。
 
 今日も、あなたは、いつもとだいたい同じ時間に、自分のデスクに腰を降ろし、始業を待っています。

 やっと頭がハッキリしてくると、何だか変な気持ちが浮かんできました。

 『そういえば、今日、目が覚めてから、一度も、会社へ行くことなど考えていなかった。
  それでも、こうして、ちゃんと会社のデスクに座っている。
  不思議だな……?』

 でも、よく考えてみると、ずっと毎日、繰り返してきたことなのだから、
当然だという気がしてきて、いつしか、そんな考えも忘れてしまいます。

 それよりも、今は、今日の業務の方が大切なのです。


 会社勤めの方や、学校へ通っている人の多くは、朝起きたときに、
会社や学校へ行くことを、ほとんど意識していなくても、ちゃんと会社や学校へ着いていますよね。

 それどころか、「今日は顔を先に洗おうか、それとも歯を磨こうか」とか、
 「今日は、どの道を通って駅に向かおうか」などと迷うことも、あまりないでしょう。

 もっと言えば、「パジャマのボタンは、上から外そう」「靴は、右足から履こう」といったことだって、
いちいち考える人も、まずいないでしょうね。

 そんなことを意識していなくても、自然に身体が動いて、いつもと同じように、
すべてのことが進んで、気がつくと会社や学校へたどり着いているのです。

 つまり、朝起きた瞬間には、もう、会社や学校へ行っていることが決定しているようなものなのです。

 実は、これが潜在意識の働きだといったら、ご理解いただけるでしょうか?

 特に意識して考えたり決めたりしなくても、すでに「会社へ行く」ということが、
意識の深いところにインプットされているので、後は、身体がそれに従って、行動したというわけです。

 まあ、会社や学校へ行くたびに、いろいろなことを考えたり、決めなくてはならないとしたら、
とても面倒ですから、潜在意識は、ある意味、私たちにとって、役に立っているものなのでしょう。

 
 でも、別の見方をすれば、人生においても、今、あなたがいるポジションは、
 あなた自身が、潜在意識にインプットしたところだと考えることもできます。

 あなたが朝起きたときに、もうどこへ行くのかが決定していたように、そして、
気がつくと、会社にいたのと同じように、どこかで、そこへ行くことを、
 あなたが決めたから、今、そこにいるのでしょう。

 たとえ、今があまり満足できない状態でも、悩みがあったり苦しくても……

 「私には、本当は、行きたいところがある」
 「どこか別のところへ行きたい」
 
 そう思ったとしても、今と同じことをしていては、結局は、同じ所へたどり着いてしまうだけのことです。

 オタマジャクシは、いくら今と同じように泳ぎ続けても、ずっとオタマジャクシのままです。
 その状態で成長できたとしても、大きなオタマジャクシになるだけのことです。

 でも、「もっと広い世界へ行きたい」「この池から出たい」、そう強く思い、
 意識することが、オタマジャクシに変化を与えていきます。
  
 少しずつシッポが消え、足が生えてきます。

 もちろん、変化には、恐れや苦痛が伴うかも知れませんが、オタマジャクシは、
いつしかカエル生まれ変わり、自由に望むところへ行くことができるようになっていくのです。


 今が苦しくて、「自分が望むところへ行きたい」と意識するときこそが、
本当は、あなたが、もっと大きく成長するチャンスなのですよ。

 それは、新しいあなたに生まれ変わる準備ができたということ。
 望む所へいくだけの力が、あなたにはあるということを教えてくれているということ。

 すべては、まず、そこからはじまるのですよ。


----------------------------------------------------------------------

 「理想的な日など、決して来ない。
  自分の心がけ次第で、今日が理想の日だ」


          -- ホレイショ・ドレッサー(アメリカの心理学者)--

----------------------------------------------------------------------

 最近、会社の業績が良くないらしい。
 社内でいろいろな噂がたっていて、リストラされるのではないかと、恐れている。
 
 リストラされて、すぐに仕事がみつからなかったらどうしよう。

 同じくらいの収入を得ることができないかも知れないし、苦手なことをやる必要もあるだろう。

 新しい職場での人間関係も、どうなることやら……


 愛する人とケンカしてしまった。
 嫌われてしまうような気がして、とても心配だ。

 あれ以来、電話もかかってこない。
 今さら謝っても、許してくれないかも知れないし、
もし別れることにでもなったら、いったい、どうしたらいいのだろう。


 心配したり、恐れたりすればするほど、元気がなくなって、心も身体も疲れてきます。

 そんな感情は、どんどん私たちのエネルギーを、奪っていってしまうのですね。
 
 なぜそうなるかというと、何が「事実」で、どれが「想像」なのかが
はっきりしていないことが問題だからのようです。

 もし、「事実」がはっきりと明確になれば、それに対して行動を起こせるでしょう。

 はじめにあげた、2つの例では、どこまでが「事実」で、何が「想像」なのでしょうか。

 失業しないかどうか恐れている代わりに、他の仕事や自分の能力についての、
 さまざまな可能性を検討することもできます。

 また、愛する人の気持ちが心配ならば、思い切って尋ねてみてもいいでしょう。

 どちらにせよ、「事実」を明確にすれば、「今」、自分にとって何をすれば
 ベストなのかが見えてきます。

 過去を悔いたり、未来を恐れて、「想像」ばかりしてエネルギーを浪費していては、
「今」を豊かに生きるために、大切なエネルギーを使うことができませんね。


 前も見えない濃い霧が立ちこめているとき、たとえ、その霧が数百メートル
 の範囲で広がっていたとしても、その水分量は、コップ1杯分ほどにしか、ならないということです。

 あなたの心配も、同じことではないでしょうか。

 ほんの少しの水のような不安要素を、「想像」でどんどん膨らませて、大きな霧にしてしまってはいませんか。

 「事実」を見るのは、少し恐ろしく思えるかも知れません。
 濃い霧は、前に進まない言い訳になっているのかも知れません。

 でもね、今日は、不安の霧を晴らせて、「事実」を見つめてみましょうよ。
 
 あなたのエネルギーは、「今」をもっと楽しむためにあるのですから。
 前に進んで、本当のあなたらしさを手に入れるために、あるのですから。


 ほら、もうずっと前から、今日は、歩き出すのには理想の日だったのですよ。




----------------------------------------------------------------------

 「どれほど苦しいかではなく、
  どれほどの喜びを感じるかが肝心なのです」

             
 -- エリカ・ジョング(アメリカの小説家)--

----------------------------------------------------------------------

 本当は、誰もが知っていること。
 ……でも、すぐに忘れてしまうこと。

 ときどき、苦しさや辛さが、それを教えてくれる……


 その1

 悩みを抱えて落ち込んでいるとき、自分が不幸だと思えるとき、苦しいとき。
 そんなときは、きっと、何か思い通りにならないことがあるときなのでしょ
 う。

 あの人が、わかってくれない。
 仕事がうまくいかない。
 誰も、私のことを気にかけてくれない。

 思い通りにならないことがあるから、自分は不幸なんだ。

 ……だから思います。

 あれが、これが、自分の思い通りになれば、うまくいくのに。
 すべてが思い通りになれば、私は、今よりもっと幸福になるだろう。

 だけど、明日のお天気は思い通りになりますか?
 太陽が昇る時間、月が沈む時間は、思い通りになりますか?
 自分自身だって、自分が思うようになりますか?

 真実は、「すべてのことは思い通りにはならない」ということ。

 このことさえ受け容れれば、心が軽くなるでしょう。
 だって、ひっかかるものがなくなって、まず一歩、前に進めるのですから。


 その2

 今から、息を止めてみてください。
 苦しくなるまで我慢して。

 がんばって息を止めた後に、自由に呼吸したときの、楽さ、心地よさが実感できましたか?
 空気のありがたさがわかりましたか?

 普段、空気の存在なんて、ほとんど意識することもないでしょうが、本当はなくては困る、大切なものなのですね。

 他にも、忘れていませんか?
 そんな大切でなくてはならない存在……

 では、今度は、今から10秒間だけ、イヤなことを思い出してみてください。

 辛かった経験、失敗して恥をかいたこと、誰かに裏切られた思い出。
 そんなことを頭のなかに、蘇らせるのです。

 その10秒は、どんな気分でしたか?
 その時間は、あなたにとって、どんな意味がありますか?

 次に、10秒だけ、楽しかったことを考えてみましょう。

 何かに成功したこと、好きな人と一緒に遊んだ記憶、誰かに褒められた思い出。

 そんなことを思っている時間、どんな気分でしたか?
 それは、あなたには、どんな意味があるでしょうか?

 楽しいことを考える。
 イヤなことを思い出す。

 同じ10秒でしたが、あなたのこの時間は、もう2度と帰ってこない時間ですよ。

 もちろん知っていますよね。
 どちらの時間を多くすれば、あなたの魂がもっと喜ぶのか……


 その3

 失敗してしまった。
 ……それは、良いも悪いもない、ただの出来事。

 私たちは、その失敗を、誰かの責任として考えたり、環境が原因だと決めつけてしまうこともできます。

 これは楽ですね。
 自分は悪くないのだから、何も変える必要もないし、私は被害者だと、まわりの人に同情してもらうこともできます。

 でも、それでは、同じ失敗を何度も繰り返すことになるでしょう。
 そして、失敗は、いつまでたっても自分を小さくする経験になってしまいます。

 また、失敗は自分が主体的に行動した結果の責任と受け止め、何が問題だったのか、
今後はどうすればいいのかを考え、もっと自分を改善していこうとすることもできます。

 これは自分の未熟さや欠点を認めなければならないし、自分を変えていく必要もあるので、
とても苦しいことかも知れません。

 でも、それを選べば失敗は、さらなる成長のタネになるのです。
 
 ……本当は、どっちが楽で、どっちが苦しいのでしょう?



----------------------------------------------------------------------

 「私は人生を、魂の力を試す材料だと考えている」

         
   -- ロバート・ブラウニング(イギリスの詩人)--

----------------------------------------------------------------------

 あなたにとって、『幸せ』ってどんな状態のときですか?

 きっと、その答えは、人それぞれに違っているでしょう。
 
 たとえば……

 仕事で成功したとき。
 好きな人と一緒にいるとき。
 趣味を楽しんでいるとき。
 サッカーで、ゴールを決めたとき。

 でも、そんな状態にいたとしても、悩みがあったり、腹のたつことがあったり、
悲しみを抱えたりしていたとしたら、心から『幸せ』を味わうことは難しいでしょうね。

 だから、本当に『幸せ』になるためには、悩みや怒り、悲しみがないことが大切なようです。
 
 そうは思いませんか?

 ここで、気づいてほしいのは、「悩み」や「怒り」、「悲しみ」がない方が
 いいと思えるとしたら、過去に、そんな気持ちに苦しんだことがあるはずだということです。

 もし、一度も、「悩み」「怒り」「悲しみ」を感じたことがないとすれば、
 それがどんな状態なのか、どんなふうに辛いのか、そして、そんな気持ちが
 なくなったときには、どれほどすばらしいのかを、本当に知ることはできなかったでしょう。

 たとえ、今が『幸せ』だとしても、『幸せ』以外の状態を知らなければ、自分が『幸せ』だということにも
気づかないでいるでしょう。

 だとしたら、「悩み」を抱えたり、「怒り」を味わったり、「悲しみ」を感じるような出来事に出会うということが、
私たちにとって、本当の『幸せ』に近づいていくことになるのかも知れませんね。


 今、あなたは、何かに悩んだり、怒りや嫉妬にかられたりはしていませんか。
 あるいは、悲しみや苦しみを感じたり、落ち込んだりしていないでしょうか。

 大丈夫ですよ。
 それが、私たちを大きく成長させてくれ、本当の『幸せ』に導いてくれるのですから。

 辛いことがあればあるほど、苦しみが大きければおおきいほど、私たちは、
 もっと大きな『幸せ』を手に入れることができるのです。

 今は、自分らしい『幸せ』に向かう道の途中。


 そして、『幸せ』を感じたら、遠慮しないで、思いっきり楽しみましょう。

 それが、私たちにとって、一番、大切なことなのですから。
 
 さあ、思い出してみてください。

 私たちは、そのために、今、ここにいるのでしょう。
 その『幸せ』を、誰かに広げていくために、生まれてきたのでしょう。

 今日は、どれだけ前に進めるでしょうか。

----------------------------------------------------------------------

 「自分というものがある。あるがままで十分だ」

                 -- ホイットマン(アメリカの詩人)--

----------------------------------------------------------------------

 そのリンゴ園のリンゴの木たちは、気持ちよさそうに太陽をいっぱいに浴びていました。

 今年も、花をたくさん咲かせて、美味しい実をつけようと願っているのです。
 リンゴの木たちは、小鳥や人間に、自分の実を食べてよろこんでもらえることを、何よりの楽しみにしていたのでした。
 
 ところが、1本のリンゴの木だけが、どうも元気がないように見えます。
 
 そのリンゴの木のことが気になったのか、一羽の小鳥が飛んできて、枝にとまって、声をかけました。

 「リンゴの木さん、どうしたのですか?今年も、美味しい実を食べさせて頂くのを楽しみにしていますよ」

 リンゴの木は、小さな声で返事をしました。

 「ああ、小鳥さん……私は、自分の実に、どうしても自信が持てないのだ。
  他の木のように、大きくて立派な実をつけることができないし、味だって劣っているような気がする」

 「いいえ、そんなことはありませんよ。毎年、このリンゴ園の、いろいろな木のリンゴを食べさせていただいてい
  ますが、あなたの実だって、いつも他の木に負けないくらい美味しいですよ」

 小鳥が言っても、リンゴの木は、ため息をつくだけです。

 「いや、どうも私はダメなようだ。
  きっと、この場所が良くないんだろう。他のところよりも、養分が少ない土地なのかも知れない。

  それとも、種のとき、根を張るのが少しばかり遅かったせいだとも考えられる。
  
  芽を出そうとしたら、地面に小石があって、苦労したものだ。
  そういえば、私が芽を出した年は、雨が少なくて猛暑が続いていたようだし、
枝を伸ばす位置も、少し間違っていたのだろうか……

  私は、毎日、そんなことを考えているんだよ」
 
 「リンゴの木さん、あなたの実が、他のリンゴの実と違っているとしたら、
  きっと、それは、昔の苦い思いが、入ってしまっているからでしょう。

  過ぎたことは、どれだけ苦しくても、辛くても、それはもう終わったこと。
  私たちの思い出のなかにしかないもの。

  昔のことが、「今」を作っているのではなくて、「今」あなたが何を思うかということこそが、
「今」も「昔」もつくっているのですよ。

  あなたは、もう種ではありませんし、芽だけの存在でもありません。
  種の時に芽を目指したように、芽を出したときに、
リンゴの木になるために成長していったように、ただ前に向かうことが、実を実らせるのです。

  私たちが、生きることができるのは、「今」だけ。
 
  そして、「今」をどう生きるかが、どんな果実を実らせるのかを決めているのでしょうね。

  きっと、あなたらしい、リンゴの実が、一番美味しいでしょうね。
  今年も、ステキなリンゴを、楽しみにしていますよ」

 優しくそう言うと、小鳥は、リンゴの木の枝から、飛び立ちました。
 うれしそうに囀りながら、自分の「今」を、もっと楽しむために。

 過ぎたことは、もう終わったこと……
 「今」をどう生きるかで、どんな実になるかが決まる……

 リンゴの木は、少しの間、考え込んでいるようでしたが、やがて、枝をブルッとふるわせて、胸を張りました。

 さっきとは、別の木のように元気になっています。


 気がつけば、ここは、とってもすばらしいリンゴ園。
 気候の良い豊かな土地に、日は降り注ぎ、小鳥たちが、幸せそうに歌っています。

 「もっと、今を楽しもう」

 リンゴの木は、そんな独り言を口にしました。
 
 今年も、きっと美味しいリンゴが、たくさん食べられるでしょう。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

----------------------------------------------------------------------

 
「自分自身を信頼し、
  自分が欲しいものを生み出せることを信じてください」


            
-- サネヤ・ロウマン(アメリカのチャネラー)--

----------------------------------------------------------------------

 「水泳の方法」を教えてくれる本を何冊読んでも、泳げるようになれるかど うかはわかりません。
 たくさんの人から、泳ぎ方のコツを教えてもらっても、それだけで、必ず泳ぎをマスターできるものでもありませんね。

 確かに、腕の回し方や足の動かし方、どんなタイミングで息継ぎをすればいいのかという知識は増えるでしょう。

 でも、実際に泳いでみると、頭で考えるように、うまくいくとは限りません。

 手や足の動きが変になって、身体が沈んでしまったり、完璧に息継ぎをしているつもりでも、水を飲んでしまったり……

 何度も溺れそうになって、そのたびに、いろいろなことを学んで、無我夢中で水に飛び込んでいくうちに、気がつくと、
泳げるようになっていたりするものですね。

 そう、うまくいかなくても、失敗してもいいじゃないですか。
 そろそろ、飛び込んで、無我夢中になってみてはいかがですか。

 それで、もっと自分らしい生き方ができるようになるのですから。
 本当に、やりたいことに近づくのですから。

 思いっきり生きることを楽しんでみましょうよ。

 あなたは、もう、自分が何をしたいのか、どうすれば、もっとワクワクできるかということの知識は、充分、持っているでしょう。
 
 ゆったりと楽な姿勢をとってください。
 イスに腰掛けたままでも、床やベッドに寝そべったままでも構いませんよ。

 お気に入りの、静かな音楽なんかを流してみてもいいですね。

 では、その姿勢のままで、片腕を首の後ろから回して、自分のほっぺたをつ
 ねってみましょう。
 少し苦しく思えるくらいに、できるだけ腕を伸ばして、ちょっと痛みを感じ
 る程度にほおをつまんでみます。

 どうですか。
 今、楽な状態で、苦しいくらい腕を首の後ろに回して、好きな音楽を聴きな
 がら、ほっぺたをつねっていますね。

 どんな気持ちを感じていますか?

 ここで面白いことをお教えしましょう。

 「首や腕が苦しい」
 そう思えば、本当に、ものすごく苦しくなってきます。

 「ゆったりとした姿勢でいる」
 そこに意識を向ければ、身体が楽になってくるように感じられてきます。
 
 「ほっぺたが痛い」
 そうですね。
 他のことは、もう考えられなくなって、ほっぺの痛さだけが大きくなってくるのです。

 「好きな音楽が流れている」
 本当に、生きることはステキだと思えてきますね。

 まったく同じ状態でいるのですが、どこへ意識を向けるか、何を感じるかで、
 気持ちは大きく違ってきます。

 うれしいのは、今の状態で、何を思うのかを選ぶことができるのは、自分だけだということです。
 
 ねえ、本当にそうですよね。
 
 今日1日、きつい肉体労働をすることになりました。

 もし、できるだけ体力を消耗しないように気をつけながら、仕事を続けたとしたら、きっとすぐに疲れてしまうでしょう。
 
 そして、1日の終わりにはぐったりして、いくら長く眠っても、疲れはなかなか回復しないことでしょうね。

 なぜかというと、力をセーブしようという考えが浮かぶのは、1日の自分の
 エネルギー量が決まっていると思いこんでいるからです。
 
 だから、使った分だけ、体力は減っていくのです。

 では、力は使っても、また湧いてくるものだと信じていればどうでしょうか。
 
 力を出し惜しみすることもないでしょう。
 思いっきり、自分の力を出し切ることができるでしょうね。

 もちろん、がんばって力仕事をした後は、疲れ切ってぐったりしてしまうでしょう。

 でも、それは心地の良い疲れかも知れません。
 ゆっくりと休養を取れば、きっと、すぐにまた力は回復しているでしょうね。

 だって、力は使えば使うほど、湧いてくるものだと信じているのですから。
 与えれば、与えるほど、より大きなものが手にはいるのですから。

 もちろん、これは、「愛」や「夢」だって同じことですよね。



----------------------------------------------------------------------

 「傷ついたのは、生きたからである」

                   
     -- 高見順(小説家)--

----------------------------------------------------------------------

 穴に落ちてしまいました。

 どんなふうにして落ちたのかは、よく覚えていません。
 突然、足元が崩れたようにも思えます。

 気がつくと、ほの暗く、冷たい穴の底にいたのです。

 身体のあちこちが痛みます。
 落ちたときに、どこかを怪我してしまったのかも知れません。

 今は、ただ、穴の底に横たわっているのです。
 
 しばらく、自分がどうして穴に落ちたのか、何があったのか、どんな原因で
 落ちることになったのかを、思いだそうとしてみました。
 
 でも、気づきました。
 いくらそんなことに思いを巡らせていても、何の意味もない。
 今は、どうすれば、この穴から出ることができるのかを、見つけることが肝心だ。

 ずいぶん、時間を無駄にしてしまったような気がします。

 横になったままで見上げると、穴の出口はとても遠くにあるように見えます。
 とても、あそこまで登っていくことなど、できそうもありません。

 穴に落ちたときに負った怪我が、大きいとしたら、大声を出してで助けを求めた方がいいのでしょうか。

 それとも、しばらくじっと休んで、体力が回復するのを待って、少しでも穴から、脱出する努力をするべきでしょうか。

 横たわった状態では、壁の様子がよく見えず、登っていけるかどうかはわかりません。
 
 そうしているうちに、ふと、底に近いところに、横穴があるのが見えました。
 あそこなら、何とか這いながら入っていけそうです。

 でも、横穴のなかは、尖った岩がたくさん突き出ているようです。
 それに、もっと深いところへ通じていそうで、さらに悪い状況に落ち込んでしまいそうにも思えます。

 でも、穴から出るためには、その横穴に入るしかないような気がします。
 
 そこに入ると取り返しがきかないとわかっていながら、この状況から逃れる
 ために、思わず引き込まれていきそうになるのです。

 ……どうしようか迷っているうちに、少し痛みが和らいできたので、少しず
 つ身体を起こしてみようとしました。
 とても辛かったのですが、どうにか座る姿勢を取ることができました。

 すると、今まで見えなかったことも、僅かずつ、見えはじめてきたのです。
 
 穴は、思ったよりも高くないこと、そして、壁の少し上方には、手がかり足
 がかりになりそうな岩が、連なっていることなどです。
 
 がんばれば、何とか登っていけそうだ!

 少し、希望が湧いてきました。

 もちろん、身体が言うことを聞かないので、思うように起きあがることは、
 なかなかできません。
 途中で、辛くなって、何度も、もうあきらめてしまおうという気持ちが湧いてきます。

 それでも、ただ、この苦しい穴から出るために、ゆっくりと自分のできるペースで、立ち上がろうとし続けました。

 時間はかかりましたが、ついに立つことができたのです。

 あとは、岩に足をかけて、壁をよじ登って行くだけです。
 まだ、先はありますが、ここまで来れば、もう大丈夫でしょう。

 それに、穴の外からは、かすかに人の声も聞こえてきます。
 気づかなかったけれど、意外に近くに誰かがいるようで、いざとなったら、
 叫んで助けを呼ぶこともできそうです。

 穴から出たら、今後、同じ過ちを繰り返さないために、どうして穴に落ちたのかを振り返ってみたいと思っています。
 そして、この経験から、自分が学んだことを、もう一度、噛みしめて、もう一回り大きくなりたいものだと考えています。


 悩んだり、傷ついたり、落ち込んだりするのは、穴に落ちたようなものなのかも知れません。
 
 立ち直って、さらに大きくなるというのは、こんなことではないでしょうか。

 生きているんだもの、ときには、穴に落ちることもあるでしょう。
 だけど、外へ出るための道は、必ずあるのですよね。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
           ★☆★ 今日のオススメ ★☆★


----------------------------------------------------------------------
      【100倍運が良くなる『今週の石ことば』】

 石は生きています!
 そして、私たちに様々なことを語ってくれています。石の言葉がわかるよう
 になった著者が、「今週は私が、みなさまの幸せのためにお仕事するね♪」
 と主張する石のことばをお届けしていきます。
               http://www.mag2.com/m/0000126330.htm
----------------------------------------------------------------------

----------------------------------------------------------------------
             『超カンタン!10秒で心も身体も元気アップ』

 え、こんなに簡単でいいの?
 元気を取り戻したい人、もっと楽になりたい人、積極的に生きたい人必見。
 心と身体のストレスを駆除する方法を伝授します。いつでも、どこでも、誰
 でもできて、効果は折り紙つきだよ〜
              http://www.mag2.com/m/0000117815.htm
----------------------------------------------------------------------

----------------------------------------------------------------------

 「すべては過去のことだ。今さらかえることはできない。
  あなたにあるのは、現在と目のまえにある未来だけだ」


           
   -- レオ・バスカリア(アメリカの教育者)--

----------------------------------------------------------------------

 もう昔のことですが、いつも一緒にいて、仲の良かった人とケンカしてしまいました。
 
 理由は、小さな約束を守らなかったとか、考え方が合わなかったりとか、今思うと、ほんの些細なことでした。

 悪意があったわけではないとはわかっていますが、どうも相手が憎くて許せません。
 相手も、きっとこちらのことを憎んでいるでしょう。

 それまで、一番大切な人だと思っていたのですが、そのときから、一番嫌いな人になってしまいました。

 だから、もう長い間、口をきいていません。

 でも、毎日、よく顔を合わせる相手です。
 そのたびに、ケンカしたときのことを、思い出すだして、イヤな気分になってきます。

 あるとき、いつまでも昔のことに縛られて、気まずい思いをしていることが、バカらしくなりました。

 考えてみれば、そのときの相手の態度や考え方が、受け容れられなかっただけで、
相手のすべてがイヤだというわけではないのです。
 そのときの行動も、今では理解できないことでもありません。

 少し勇気が必要でしたが、思い切って、憎かった相手を受け容れてみることにしました。

 相手は、無条件にこちらを受け容れてくれました。
 それどころか、今までずっと、暖かく見守ってくれていたのでした。

 もう、イヤで苦しい思いをすることもないのです。
 とても楽に生きることができるし、昔のことに囚われていたエネルギーを、
 未来に向けることができるようになったのです。

 ……そう、ときには期待を裏切るようなことをするし、欠点だらけですが、
 この人は、とても大切で、ずっと大好きな人だったのです。

 自分自身と仲直りすることは、本当にすばらしいことなのですね。


 もう忘れているかもしれませんが、ずっと前に、自分の世界を、輝く炎で輝かせようと、火を灯したことがありましたね。

 ところが、思うようにならないことが、起こりました。

 幾たびも挑戦しましたが、いつも、失敗したり、多くのことに失望を味わったり……
 そして、再び気力を振り絞ってみたりしましたが、いつしか炎も消えてしまいました。

 そんなことが何度もあり、そのたびに、燃え尽きた灰を、そっと埋めてきましたね。

 そして、今では、足元には、たくさんの煤や灰が積み重なっているだけです。

 そんなふうに灰を眺めて暮らすようになって、どのくらいになりますか?

 そんな生活に満足していますか?

 もう、炎を燃やさないのですか?

 そうですね。
 過去の苦しかった挫折の跡に目を向けるのは、ずいぶん辛いことなのでしょうね。

 でも、よく見てください。
 まだ火は、完全に消えたわけではないようですよ。

 灰の下には、ずっと燃え残った火種がくすぶっているのです。
 いつか、この灰のなかから掘り起こされて、大きく燃えあがり、世界を明るく照らすことを夢見ているのです。

 ほら、感じることができるでしょう。
 
 いつまでも見ない振りをすることなんてできません。

 さあ、ずっと昔に埋めた燃え残りの炎を掘り起こしましょうよ。
 それを、自分の胸に抱きましょうよ。

 そこから、すべてははじまるのです。

 今こそが、心のなかに埋まった、「夢」という名の炎を燃やしはじめるときなのですね。


----------------------------------------------------------------------

 「なれなかった自分になるのに、遅すぎることはない」

         
   -- ジョージ・エリオット(イギリスの小説家)--

----------------------------------------------------------------------

 ちょっとしたことで、すぐに落ち込んだり、物事を悲観的に考えている人がいました。

 あるとき彼は、有名なオーケストラのコンサートに招かれました。

 招待してくれた人は、その人に、こんなことを言います。

 「このオーケストラは、才能溢れる音楽家たちが、毎日、練習に練習を重ねて、演奏に磨きをかけている。
  だから、本当に一糸乱れぬ、すばらしいハーモニーを聞かせてくれる。
  
  でも、やっぱり人間だから、どうしても少しは、音がズレたりすることもあるそうだ。

  そんなバランスの乱れを見つけるのも、コンサートの楽しみのひとつだよ」

 彼は、なるほどと思い、コンサートがはじまると、誰か音を外さないか、ハーモニーが乱れることはないかと、
一生懸命に聞いていました。
 確かに、数回、気づかないくらいの僅かな乱れがあったように感じました。

 演奏の間の休憩時間に、招待してくれた人は、彼に声をかけます。

 「どうだい。コンサートは楽しいかい?」

 彼は、肩をすくめました。

 「いいえ、オーケストラの乱ればかりが気になって、音楽を楽しむどころではありませんでした。
  全然面白くなかったですよ」

 「そうかい。じゃあ、今度は、ただオーケストラのハーモニーを聞くようにしてみたまえよ」

 彼は、言われた通り、コンサートの後半は、バランスのとれたオーケストラの演奏に耳を傾けました。
 なるほど、世界的に有名なだけあって、本当に、すばらしい音楽で、心を打たれるような感動を覚えました。

 コンサートが終わるやいなや、彼は、招待してくれた人に、目を輝かせながら、感謝のことばを伝えます。

 「ありがとうございました。こんなにステキな音楽を聴けて、本当によかったです」

 招待してくれた人は、彼に笑いかけます。

 「楽しんでくれたようで、私もうれしいよ」

 「前半は、ハーモニーの乱れを探していて、つまらなかったのですが、後半は、心から音楽を楽しめました。
 
  こんなことなら、はじめから、余計なことをせずに、ただ音楽を楽しんでおけばよかったと思いますよ」

 「気づいたかい?それは人生だって同じだよ」

 「え?」

 「君は、よく物事のネガティブなところに意識を向けて、落ち込んだり、悲観的になったりしているだろう。

  そんな生き方は、楽しいかい?」

 「……それは、……あまり楽しいものではありません……」

 「そうだろう。そんな生き方は、オーケストラの、僅かな乱れを探しているのと同じことだよ。

  ちょっと、意識を他に向けて、ただ、目の前にあることを、ただ楽しむこともできるだろう。
  そっちの方が、ずっといいとは思わないかい」


 私たちは、自分が聞こうとするものを聞き、見ようと思うものを見ています。

 そして、見たもの、聞いたものが、意識のなかで大きな位置を占めることになるので、
どんどん拡大していくことになります。
 
 つまり、自分が思っている通りの人生を生き、信じていることが実現するのですね。

 今が、どんなに辛く苦しくても、そんな現実を創ったのは、誰でもない、自分自身だということになります。

 ……と、いつものクセで、これを悲観的に受け取る必要はありませんよ。

 だって、これから、どんな現実を生きるのかを決めるのも、誰でもない、自分自身なのですから。
 気づいた瞬間から、新しい現実がはじまるのです。

 さあ、あなたは、今、、どんな楽しくてすばらしい、望む人生を創りだしていますか?


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━



         ○「癒しのことば」from 1999/12/30       
発行責任者:中村 慎一  shin@newage.ne.jp  HP:  http://www.reiki.jp
======================================================================
※古今東西の名言から、ストレスを和らげ心を癒すことばをお届けします。
                         毎週 月・木曜日配信
----------------------------------------------------------------------

広告 [PR]  再就職支援 冷え対策 わけあり商品 無料レンタルサーバー